【日本神話③】伊勢参り その後に
お伊勢参りを終えた後は、表参道散策とお食事を堪能しましょう。といいますか、ここに実際に来るまで、こんな素敵な場所があるとは知りませんでした。伊勢神宮・内宮の「おかげ横丁」。
案内看板の図の通り、お土産屋さんや飲食店、宿泊施設が並んでいます。その先に内宮へ入る宇治橋があります。名物といえば赤福が有名ですね。写真の通り、2階建て程度の背の低い木造日本家屋が並ぶ通りって和心を感じ、とても落ち着きますね。大勢の参拝客で道もぎゅーぎゅーではありますが、そんな賑わいもまた、風情があります。
お伊勢参りは江戸時代に特に流行したようです。キリスト教やイスラム教でも見られる聖地大巡礼。流行のきっかけは諸説ありますが、伊勢神宮の神職たちが全国各地へ出向き、布教活動のようなことをしていたそうです。お札やお守りのような神具、お土産なども配って金銭や食品の奉納者を募ったりしたそうです。「60年に1度、大流行する」という説もあるそうです。式年遷宮(20年に1度)に備えた資金集めも考えられそうですが、果てして???
その中で「講」という組織もでき、講の所属者が伊勢に来たときは、その人たちの宿や食事の世話を担当の神職がしたそうです。高額奉納者は神社から見てビッグスポンサーですしね。一般の方もしかり。また、周囲の人たちとみんなでお金を出し合い積み立て、代表者が行けない人たちの分も旅してお参りしたようです。幕府の通行手形も、伊勢参りについては随分ゆるく入手できたらしく、通過点となる街の人たちも、参拝客に宿や食事を提供することでご利益があるとされ、伊勢参りは金銭面と食住の点では、普通の旅行よりも負担が少なかったようです。
もちろん、道中のトラブル、事故や犯罪、女性などは誘拐に遭うことは普通に考えられましたし、さすがに無銭で居住地によっては数か月かかる旅をするのは大変だったと思います。参拝者側にも、人のやさしさに付け込んだ悪者もいたでしょうね。労働者が、ふと思いつきで伊勢参りに出て職場から居なくなってしまう「抜け参り」といったこともあったようです(笑)
こういった参拝客を全国から集める聖地には、必ず道中や周辺の街にも賑わいが生まれました。今もそうか・・・伊勢については港町の津がそうですね。伊勢音頭「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」は、その歌と踊りそのものが、お金も重さも場所もとらない「お土産」になったそうですよ。出雲大社、熱田神宮、金毘羅さんなどなど、港町や街道の宿場町が賑わったことでしょう。
そんな歴史を感じながらの旅となりました。
うんちくはこれぐらいにして、名物「伊勢うどん」をいただきましょう。うどんは柔らかくてグニャグニャの触感。硬くコシのある讃岐うどんとは正反対。汁はなく、出汁醤油を直接かけて食べます。
うん、美味しい。コシのある麺もいいですが、これはこれでいい。・・・といいますか、私は味音痴で「なんでも美味い」というタイプなので、今回も美味いです。思うに、海外に何度も行ってますが、そこでストレスなく暮らせた要因のひとつが「飯にこだわり過ぎない」ことだったと思います。個性的すぎるゲテモノ・・・虫とか・・・極端でなければ、何でも食べます。そんな性格で幸いです。
私の気分もこんな感じです。おかげ横丁「おかげ様」で心身ともに満足満腹でした。そういえば「お蔭様」って、暑い日差しを避けるように木陰で涼む様子から、神仏のご加護の下にご利益を受けることを表す言葉なんだそうですよ。仏教用語に近いそうです。日本人なら神仏両用両得ですから、そんなことはどうでもいいですかね?兎も角、有難し!
次回は、日本神話の本筋に戻り、ツクヨミの壱岐、スサノオの出雲方面へ行きたいと思います。
おかげ横丁↓
表紙の写真=伊勢神宮・内宮前の「おかげ横丁」(2013年11月2日撮影)