成長するよ
覚悟ってなんでしょうか?
少し前に一生懸命頑張っていればいいって記事を書いた。
今思うとなんて経験足らずな文章だろうか、と。大人たちに笑われていただろうな、と。
頑張れなかった
一生懸命になれなかった
沢山迷惑をかけた
1人で背負いきれるものではなかった
大人の世界
仕事の社会
お金の話、礼儀やけじめ
何一つ分からなかった
少し前までは笑って許されてきていたんだってことを知り
泣いてもわめいても分からないものが分からなくて誰に助けを求める事もできず
沼にはまった
肩の力が抜けてしまって
自分のやりたい事をやりなよ
やりたいようにやりなよ
好きな事だけしなよ
そのままのはずなのに
分からなくて
好きな事、やりたい事をやるには
やりたくない事だって頑張るのは当たり前で
お金のためじゃないはずなのに
生活が苦しいとお金ばかりになってしまうし
やりたいようにやるって先輩や相手ありきなお仕事にそんな事は出来ない弱い私
好きな事だけって言われても
何が100好きなのかわからない
100を探してしまっているから見つからないし
気がついていたって
頑固なものだから探し続けたいし。
馬鹿は認めるけど
本気で馬鹿にされることは許さない
そこに愛がないって思ったらガンスルーくらい出来る、というかしちゃう。
最近、自信がどうして持てないのかが少しわかった気がする。
それは、優しさや繊細さをいいものとして認めてもらえたから気がつけた事だった。
強く言い切れない
私がどうしたいかは分からない
決断を間違えているかもしれない
でも全部わたしにとってはポジティブで
言い方の違いで
私にとっては
いろんな意見があっていいが大前提
私がどうしたいかはそんなに重要じゃない
違う道も大切にしたい
からであって。
優しいと言ってもらえることが多い
デッサンも強く描いても濃くしようとしても
どうしてもふわっとした優しい絵になってしまう
自分が丸見えなデッサンはすごく恥ずかしかったけど不思議だった。
優しさやも
私自身が優しいわけじゃない
してもらってきた嬉しかった優しさがあるだけなんだ。
真面目すぎるせいで
損したことだって沢山あったと思う
すぐ体調に影響したり
考えすぎたり、必要以上に傷付いたり
沢山あるけど
月日が経って今が楽しいと忘れちゃっていて
私がしたくてしていたことだったはずなのに
最近は
だから大変なんだよ
わたしの力不足だ
もっとこれができたら、あれができたら
って沢山のアドバイスの中から
私のやり方がよくなかったんだって受け取ってしまっていた。
だけど、本当の本当の心の奥の弱音を頑張って打ち明けたら
よく頑張ったねって
優しいんですね、強い人ですねって
たったそれだけの些細な一言一言が
私に自信を取り戻させた。
すごくホッとした。
仲間がどれだけいても、戦場で刀を振るのはわたし自身でひとりだ
その生き方を選んだのに
わたし自身を信じれなくなっていたんだと。
あぁ、そうだ
間違っていたのかもしれないけど
私らしく、頑張ってきたじゃないか。って。
安心した。ほっとした。
社会の常識としてどうするべきなのかとか
迷惑かけちゃうことも失敗も沢山あって
分からないことだらけで
でも、私らしく
ひとつずつ、ひとつずつ
噛み砕いていくしかない
私は私が褒めてあげる。
私は私が認めてあげる。
ひとにはできるのに、自分にはすごく難しい。
大事にしたいところは譲らず大事に、大切にして
そのために出来ることを、今は考えます。
社会人として最低なことをいうと
私は家族とか周りの人や環境が何より大切。
仕事よりも、自分のいつかの目標よりも。
今目の前のみんなと笑っていられるということ、美味しいご飯が食べられる事、明日をワクワクして眠れる事、ありがとうって言われる事がなにより大切にしたいこと。
結局はそれが私のやりたい事なのかもしれない
だから、デザインやものづくりでありがとうと言ってもらえるなら頑張る
肩たたきだろうがおにぎり握ることでもなんでもやる、やりたい
私が笑顔でいる事って心で伝えてくれる人たちがいるから
世界でたった一人になってもやりたいこと?って私は私に問う。
だからなかなか具体的な夢はみつからないけど、それほどのもの探しながら今日ものんきに気楽に生きています。