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ネガティブというポジティブ。

【約一ヶ月SNSの発信をやめてみて行き着いた思考。】

ひたすらつらつらつらと、書きます。
長いので最初に言っておくと最後にSNS再開紹介がありますので
びゃー!っとスクロールして下さい🤭笑

最初にあるイラストのこの子は、私のマイキャラです。

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小学生の頃によく書いていた当時はアフロヘアーだったアフちゃんです。
以後お見知り置きを……




人のために私ができることってなんだろう?

中学生の女の子は
「夢こそでっかく」
「ノーベル平和賞を取るんだ!」って本気で思っていて、
大きな夢を持つことができれば、どんな努力だってできるはずだって壮大なことを考えては闘志を密かに燃やしていました。

しかし、
「あなたが考えることはボランティアにしかならない。」と言われたあの日から女の子は迷子になってしまいました。
その夢自体を見つけることがこんなに大変とは思ってもみなかったのです。

社会人になった彼女は、自分が殻に閉じこもっているなって感じていて
それは、小学生の頃からでなんとなく心当たりもあって。
でもそのおかげで、棘がなくなって友達ができたんだってずっと安心していました。
最近その殻に違和感があるというか、破って外に出てみたくてむずむずしています。


どうやったら出られるのかは分かるような、分からないような。
でもせっかく出たいと思えたから、ゆっくりマイペースに確実に…と。

彼女がそう思えたのも、
引きずっていることとか悔しかったこと忘れられないことが沢山あってそれを大切にしすぎたなって気がついたからでした。
特に強いのは3つあって、小学生時代・中学生時代・高校生時代。

「後悔はしていません。」
と言い切るけれどそれは彼女の強がり。
「もし過去に戻れてやり直せるとしても、今の私が戻れることはないと思うから、
あの時の私が、また同じ時間を過ごすと思うし私なりのその時の精一杯だったと思うから。
後悔をしてその時の自分を否定したくない。」って。

過去に戻ることができないのではなくて、変えられるのは未来だけ。
後悔はしていなくても、その想いを忘れることはできずにいて
鮮明なまま、悔しかったり苦しかったり美化して良い思い出に変えて取り戻そうとしたり。

いつしかそのことで彼女の頭も心もいっぱいで、
誰かの幸せを願ったり、自分の今のことを考えることをしているつもりでしかなかったのではないか。

彼女は
目の前に読んでくれる誰かを想像することもできなくて、居るのは昨日までの自分で。
それは、誰かとお話しするときも一緒で。

だから、目の前の人が本当に欲しいものは何か、何を考えているのか分からないし
今の自分がどうしたら良いのかすぐに分からない。
明日になれば、明日の自分が今日の自分を見てやっと少し分かる気がする。

何を言ったら、何を言われて、それになんか返せるだろうか。
相手のことを考えてわかりやすく話したり、聞き出したり、相手の言っていることに興味を持つ余裕がなさすぎるというかなんというか。
努力すれば良いだけのことと思う。
ただ、努力を始める前にこの重荷を捨てて爽快に走りたい。すっきり努力したい、無我夢中になってみたい。

言ってる間に努力しなくちゃ…って遠い目をして。


彼女の夢は、自分を生きること。
でもどんな目標を立てたら良いのか分からなくなってしまいました。

自分のことしか考えてないんだな…って気づいたから。
収入も夢もつくりたいものも、
自分が生活できるように
自分が表現できるものを
自分が幸せになれるために。って

ちょっと頑張れて、家族や恋人、仲の良い友人のことくらい。
でも今の彼女じゃ、何も助けられない。
悲しんで後悔して、過去の重い荷物の1つが増えるだけ。

そして何より
誰かのプレゼントになるようなモノづくりを。って思っていたのに本当にその人のためを思って作れていたんだろうか、
私の色を出すことは求められていないなら、誰かのためにならないなら、探す必要があるのか分からなくなったことが彼女を一番悔しく不安にさせました。

それでも、私の色を見つけてみたいし私にしか表現できないことを見つけてみたい。いますぐ自分の人生の主人公になりたい。才能が欲しい。と思ってしまう。
でも、いつ見つかるかなんて分からない。もうあるかもしれないしこの先も見つからないかもしれない。
だから、自分のことばっかりな私が今こうして足掻いている等身大の中でも誰かの役にたてることなんてないのだろうか。
本当になかったら、本当に私は自分のためにしか生きていないことが事実になってしまうような気持ち。
小さい脳みそながらにも誰かのことを想ったり、行動したり、優しくなろうとしたことが否定されたような
なかったことになってしまうような気持ち。

昔から彼女は
好きかもと思えるものは苦手なものばかり。
基礎問題は解けても応用問題となるとちんぷんかんぷん。
世の中は応用問題しかない。
彼女の羽ばたきたい世界は応用問題しかないようにみえる。

常に小走りでひたすらに走ったこの彼女が上京してからの4年間。

ふと立ち止まって周りを見渡せば、
隣を歩く知らない人もSNSの中もどこもかしこも、
美人さんばっかり。
頭も良くて、スタイルも良くて、運動神経も良い。
歌も上手。話もうまい。
自分のことも分かっているように見える。
同世代とくに美人だし頭がとにかく良い。

SNS上に溢れる才能。生き生きした表現。
清々しい表情。

Z世代、SNS黄金期、自由、個性、ジェンダーレス、個人の主張、尊重。

そう思ったら、
今いる部屋にあるもの全ても
テレビに映るあれもこれも
自分が身につけているもの、着ているもの、食べているものも
今文字を打っているこれも。

どれもこれもが羨ましくなってしまって。
よく分からなくなってしまって。
SNSを使って何がしたいのか?
沢山の人と知り合って繋がって?
自分のやりたい事?
表現したいもの?
そもそも表現て何?
まだ見つからなくても良い?
見つかってないようにやっぱり見えるんだ…とか
アドバイスをもらうほど、今の自分じゃ足りないんだ…
とか
素直に成長に活かせなくて
余計に自分って…って思ったり。

やりたい事を何も考えずにやる事も
忖度しない事も
気を使ったり遠慮をしないと言う事も
思った事をそのまま口にする事も
好きな格好をしたりすることも
人の目や意見について考えないことも
泣かないのも
ポジティブモンスターになるのも
強く優しく常に冷静であることも

どれも、難しすぎる。

でもそれは、
SNSをやめたからって目を背けられるものではなかった。
忙しい現実から逃げたって気持ちは変わらなかった。
ネガティブばかりで悩んでばかりの彼女は家にこもりがちになって
ネガティブの何が悪いの?って
落ちていて何が悪いの?って
アドバイスをくれる人の声を素直に受け取れなくなった。

寝たら忘れる能天気な彼女でも
なかなか寝付けなくなって忘れづらくなった
これでは距離が開いてしまうばかりでなく
誰かを怒らせたり嫌な気持ちにさせたりしてしまうばかりで
自分の周りから誰もいなくなってしまいそうで
彼女は、SNSを一ヶ月やめることにした。
連絡も取らなくなるということに心配すらしてくれない恋人。心細かった。
でも、こんな風に傷ついたとひどく落ち込むことも一ヶ月は無くなるんだと思ったらちょっと安心した。
何も言わないのは、彼なりの優しさだったのかもしれない。
否定されるよりいいかもしれない。
でも、どんどん落ちていたその時の彼女にとっては無言は否定だった。

でも、
社交辞令もお世話も忖度も沢山ありふれている世の中だからこそ
その時の恋人の対応は正しくて、平穏を保てたのかもしれない。


多様性とか時代とか言われるようになって、何を夢にしても間違ったことでない限り否定されないのかもしれない。
今ならボランティアでも強い気持ちがあれば生活だってできたろう。
なのに、
何をとっても普通すぎると感じている彼女には
普通すぎる主人公がいたって良い。って
まだ強がってでしか言えない。


いつか、一生懸命努力した自分が「私なんて普通すぎますよ」って清々しいとびっきりの笑顔で言いたい。
才能がない、芽が出ない、そのままだったとしても
彼女はなにかをつくったりモヤモヤ思考したり表現していくことを、辞めない。
自分が納得するまでは悩み続け、探し続ける。それが唯一できること。

曖昧な表現が好きな彼女だけど、
曖昧な状態にいることはやっぱり心地いいものではない。
見つけたい。と言う意思があるから居られるのかもしれない。
見つけたい、よりかは出会いたいの方が近いのかもしれない。

ふと散歩中に道端に咲く花のように
昨日はなかったのに今日は咲いていた。とか
うつむいていたから見つけられた。とか
そんなイメージ。

フワフワしているものだから
表現することが仕事とか働くとかって区切ったり切り替えたりはできなくて
お金に変えたりまで考えられていない。
でも社会人として生活もあるしと葛藤葛藤。
ここが今一番戦っているところ。

新型コロナウイルスと言う社会問題に直面したこともあり突然実家に戻った。
ある意味初めて完全な一人暮らしを始めた部屋、街。
いつも力をくれたベランダから見える大きな夕日。
沢山悩んだり、泣いたり、挑戦をした空間。
恋人と過ごした時間。

街をゆっくり散策する事も
部屋を満足するように模様替えすることも
大好きな部屋だったので写真に納めてもらおうと思ったことも
全部、今度今度でやれなかった。

突然の、さようなら。

実感がない。
実家に帰省しているだけで、部屋はそのままあるような気がしてしまう。
もう帰れる場所は無いんだ。

そんな悲しみもありつつ、
帰れる実家がある事の有り難みもとても感じた。
毎日あったお金の危機感から少し解放された彼女は、自己表現について前より思考できるようになった。
自己と向き合うことは、
難しい。
苦しい。
楽しい。
答えはないし、弱い部分と向き合うことも
プライドが高く頑固な彼女には苦しい。
でも、人に指摘されるよりは全然耐えられるものだ。
それでも、毎日朝から晩まで向き合うのは流石に情緒が荒れた。

一人暮らしの部屋で1人向き合うのは
耐えられなかっただろう。

向き合い方は合ってないのかもしれない。
結果を出している人より
まだまだ全然向き合えていないだろう。
意識も足りないんだろう。
まだまだ、口ばかりなんだろう。

覚悟とか芯とか
それこそ、目には見えない。
信じれる強さはどこに。

自分が
認められたい、褒められたい
自分を
認めてあげたい、好きになりたい

そんな感情も、損得も、利益もなにも考えず
ただ好きでただ表現したい何か。

それを見つけたいくせに、
こんな思考しまくり固定概念、社会ルール、礼儀や恐れ。
ガチガチで溶けなそうです。

もっとはっちゃけてみたかったり、
ぶっ飛んだ表現がしてみたかったり。
でも、そんな理想のものは出来てもひとつしかつくれなそうです。

ガチガチでも
等身大の自分を愛して
ガチガチな重りを表現に変えることだって
できるはずで。
傷も、苦しさも、忘れる能天気さも、
根に持つ執念深さも
楽しいも全部が表現に変えられるはずで。
だから、表現の道を歩きたいわけで。
「インスタレーション」
場所も空間も思い出や過去も未来も
全部で、私。
そんな作品を人生をかけて1ページずつ刻んでたどり着いた彼女が全部「私だった」と満足できるように。

そんな事をずっと思考していた
私のお話しでした。

7月になりましたので、SNS再開〜!
メインはInstagram
そして、TikTokも始めました!
時々、FacebookTwitternote
自身でのストアーズなどでのネット販売も予定中です。

長い長い答えのないモヤモヤ思考に
最後までお付き合い頂いた方がいらっしゃいましたら
ありがとうございます🙇‍♀️

自分の言葉だけでなく
楽しんだり読みやすいと思ってもらえるようなお勉強もしなくちゃと感じてはおります。
まだまだ今の等身大でのつらつら投稿になってしまうかと思いますが
応援、お見守り頂けると嬉しいです…!

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