【小説】12月の渡り鳥
紅葉の季節を終えた12月の植物園は、葉を落としてしまった裸木がいくつも立ち並び、春や夏に比べて、少し枯れ色をしていた。コートを着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして、小橋と並んで歩いた。
「冬の植物園というのも、なかなか乙なものですな」
小橋の言葉に、私も「そうですなぁ」と言った。
「渡り鳥の池はあっちらしい」
小橋が指さしたほうを私も見た。珍しく晴れた冬空はぴりっとした寒さで、私はあらためて「ああ、小橋と二人で出かけてるんだ」と実感した。
🐤
三時を過ぎた大学の学生食堂には、もうぽつぽつとしか人がいない。少しがたつくテーブルの一つに座り、熱い肉そばを食べている。季節は12月だから、温かいものが美味しい。
ふっと目の前がかげったかと思うと、私の真向かいの席に小橋が腰を下ろしていた。彼はハンバーグ定食のトレイを持っていて「一緒していい?」と聞いてきた。
「んー、どうぞ」
私が答えると、どっかりと座り直して、割りばしを割って彼も食べ始めた。小橋は同じゼミ仲間の同級生で、私とはとても仲がよかったが、きちんと意識することはためらわれた。小橋は本当にいいやつで、地味な私には少々まぶしかった。
彼女がいないことも知っていたが、就職を地元の群馬で決めた私は、春には大学のある富山を離れることはすでに決まっていた。だから、彼への好意を安直に言葉にはできなかった。
「佐藤、就職最近決まったって聞いたよ。おめでとな」
「そういう小橋は、どうなん」
「全滅で、ほんとやばい。今年は氷河期になるとはわかってたけど、四年の今になって決まってないって、ほんとどうしたら」
そう言って小橋は苦笑した。小橋は富山の出身なので、地元企業を受け続けていると聞いていた。
「佐藤、どっか気分転換行かん? いいとこ、知らん?」
ふいにそう言われたので、私はそばにむせそうになった。――私は小橋が好きだった。思いを秘めたまま、離れようと思っていたのに、小橋のほうから外出に一緒に行こうだなんていわれてしまった。
「あ…そうだ」
私はふいに思いついた。
「植物園は? ニュースで見たけど、いま渡り鳥が来てるって」
「よし、そこだな。鳥を見に行こう」
もうすぐ離別のときが近いことを、私たちはなんとなく互いに感じていたのかもしれない。私は小橋をほのかに好きだったし、小橋からの好意を感じることはいままでもときどきあったけど、二人の間に決定打はなかった。
何かが動きそうで、でも結局動かないのかもしれない。そばを食べ終えた私は「先行くね」と席を立った。小橋は手を振った。
🐤
はたして池の中やまわりには、茶色のカモが羽を休めているのが何匹も見えた。小橋が持ってきた双眼鏡を借りて眺めると、羽にくちばしをつっこんだり、すいすいと泳ぐのがよく見えて楽しかった。
「コガモ、ってやつじゃね?」
小橋がスマホの画面を見ながら言う。
「たぶんそう。シベリアから飛んできたんだね。そしてまた気候が暖かくなったらシベリアに帰るんだ」
「佐藤も、じゃあ渡り鳥だな。富山で羽を休め、また群馬へと帰っていく」
小橋は茶化した声で言った。小橋は何を茶化そうとしているのだろう、と私は思った。明るい声の裏には、しずかな哀惜がにじんでいた。
二匹並んで、羽と羽をくっつけているコガモが目に入った。あの二匹は、渡り鳥どうしだから、たぶん同じ場所に帰れる。でも、その隣にいるシラサギはどうだろう。
「渡り鳥ではない、一年中同じ場所に生息する鳥は、留鳥っていうらしいよ」
私も調べてきた知識を披露した。
「じゃあ俺は留鳥か」
と小橋は笑った。私たちは、お互いの未来をだめにしたくないから、これから先のことについて何も言えない。こんなに仲がよかったのに、つきあっていれば、なにかが変わったのか? つきあっていても、こうして離れることになったとしたら、そっちのほうがダメージは大きい。
ふいに、羽音をばさばさとたてて、コガモが5、6匹一斉に飛び立った。
「社会人になっても、ときどき富山に遊びにこいよ。会社の愚痴言いながら飲もうぜ」
小橋はそう言い、私はうなずいた。
池のそばにある小さな赤い実と緑の葉がふいに目に入った。
「南天だ」
私は南天の木に近づいた。小橋もやってきて「あ、この木見たことある。南天っていうんや」と微笑んだ。
「赤と緑に雪が降ったらきれいだろうな」
そう言った、小橋の感性が好きだと思った。
「小橋。南天はね、難を転じるって思いがこめられてるんだよ。だから、きっと就職決まるよ。がんばって」
小橋はすん、と洟をすすって「ありがとな」と言った。
🐤
あの日から五年が過ぎて、また12月がめぐってきた。私は富山駅構内で、キャリーケースをひっぱりながらクリスマスツリーの前でうろうろしている。
ふいに着信音が鳴り響き、私はあわてて電話に出た。
「小橋」
「佐藤。もうエキナカの居酒屋にいるから、はよおいで」
居酒屋で小橋と合流すると、小橋がドリンクメニューの表を渡してきて「何飲む?」と聞かれた。
「立山、飲みたい」
富山の地酒を答えると「俺も」と小橋が注文してくれた。
私たちはつきあわずに卒業のときを迎えたが、年に1度ほど、私が小橋に「富山来て飲まね?」と呼び出され、学生時代を思い出しながら飲んだ。
中途半端な関係だとは、もう思わなかった。留鳥には留鳥の生活がある。ときどき呼び出されて、一泊二日の渡り鳥になるのは悪い気分ではなかった。
立山をあおりながら、ふいに小橋が言った。
「俺、結婚するんだ」
私も、言おうと思っていたことを告げた。
「私も、来年春に式を挙げる」
二人して、苦笑した。
「俺たちって、仲いいな」
「ほんとうに」
私たちは、お互いの本当の生息地を大事にしていた。富山に根を張った小橋と、群馬で両親のもとで暮らし、群馬の人に嫁ぐことを決めた私。
でも、ひとつの池で、留鳥と渡り鳥が、そばにいたことを私たちはずっと忘れないだろう。
「子供が生まれたら、写真を見せっこしようね」
そう私が言うと小橋は微笑んだ。
「きっと佐藤に似ていい子になるな」
その褒め言葉が、何よりも嬉しくて、私は卵焼きをほおばった。
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