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【短編小説】私は、今夜も港区女子。

 煌びやかな都会の夜景が見える、赤坂のマンションの一室に、私は今夜もいた。
 部屋のあっちこっちに設置されたスピーカーは殺人的な大音量で、EDMの重低音に合わせて震えている。
 室内を彩るネオンやパーティーライトの眩しさで、この部屋の良さを引き立てるためにあるはずの夜景は、ただの背景にすらなり得なかった。
 決して狭いわけではないはずのこの部屋には、
年商20億円の実業家やら、若手イケメン俳優やら、何とか賞を獲得したスポーツ選手やら、ごちゃ混ぜにして一緒くたに集められている。
 こんな如何わしいところに有名人が揃いも揃って集まるなんて、週刊誌の格好の餌食になりそうなものだが、こないだギャラ飲みを主催してくれたファッションモデルが言うには「仕事を頑張るために必要なこと」らしい。
 そんな男達に煽られて、若い女の子たちがシャンパンを頭から被る勢いで飲みまくり、音楽に合わせて踊り狂い、「ノリが悪い」とまた飲まされて、その様子をインスタに大量に投稿していく。

 「キララー!
  ねぇー!ちゃんと飲んでるー?!
  ノリ悪いってー!!!」

 カノンに言われて、私はシャンパングラスを一気に空ける。


 私は、今夜も港区女子。



 海が近い田舎町の、水産工場を営む家に生まれた私は、自分で言うのもなんだけど、なかなかの優等生として、地元では学業も恋愛もそれなりに上手くこなしていた。
 地元に不満や文句があったわけじゃないけれど、周りのみんながそうしていたから、私も一応東京の大学を目指すことにした。
 第一志望の大学に見事に合格した時は、父も母もびっくりするほど泣いて喜んだものだから、逆に私は喜びたくてもいまいち喜べなかった、なんてこともあった。
 でも、初めて見る東京は、何もかも全てが大きくて高くて、地元にはない凛とした空気が漂う街だった。
 今日から私はここで暮らすんだと思ったら、なんだかとても感動した。
 ああ、そういえば高校を卒業する時に、遠距離恋愛になるからと泣く泣く別れた進藤くんとは、結局キスも出来なかった。
 あの頃の私って、めちゃくちゃ乙女ですごく可愛い。

 初めて見た東京の建物より大きく高い建物の一室で、さっき名前を聞いた男に抱かれている私は、そんなことを思っていた。

 「これ」
 男が財布から一万円札を何枚か出して、私に差し出した。
 「わぁ、そんなつもりなかったのに。
  でも、ありがとう。」
 最高級の笑顔で、そんなつもりしかない私はそのお金を受け取る。
 こないだの男より3枚少ない。
 「あのさ、めちゃくちゃタイプなんだよね。
 俺と『専属契約』してみない?」
 「うん、すごく嬉しい。だけど、大切なことだからゆっくり考えるね。」
 最高級の笑顔のまま、私は答える。
 1回の金額をケチる奴と『専属契約』なんてするわけないのだけれど。

 エントランスに降りて、コンシェルジュにタクシーの手配を頼むと、近くのソファーに身を預けた。
 携帯で時間を確認すると、23時を回ったところだった。
 カノンから明日以降の予定を知らせるDMが馬鹿みたいに来てる。
 そんな通知が携帯のホーム画面に所狭しと表示されていて、どっと疲れが出た。
 もういいや、ゼミのレポートもそろそろ書かなきゃやばいし、明日返信しよう。
 誕生日プレゼントに貰ったブルガリのミニバッグに携帯を投げ入れると、タクシーが丁度自動ドアの前に停車したのが見えた。
 私はお酒と疲れのせいでパンパンに浮腫んだ脚を奮い立たせて、タクシーへと歩き出した。

 私を乗せたタクシーは、高層マンション群を走り抜ける。
 やがて、美しく整備されたその「成功者の象徴」は、タクシーが私の指示通りに進めば進むほどどんどん減っていき、雑居ビルや居酒屋が並ぶ街へと入っていった。
 運転手が「こちらでいいですか?」と何回もチラチラこちらを見て確認する。
 それはそうだろう。
 さっき、コンシェルジュ付きのお台場が一望できる超高級マンションから出てきた女が、まさか学生街の片隅にある、築28年の木造アパートに帰るとはなかなか想像出来ない。
 さっき貰った一万円でタクシーの支払いを済ませると、浮腫んだ脚を引き摺るようにして部屋に入った。
 今まで履いていたジミーチュウのパンプスは、持っている靴の中でもお気に入りで、いつもなら帰ってきたらすぐ綺麗に磨いて箱の中に仕舞うのだけれど、もう今日はそんな気力もなく、狭い玄関に放り出されたままになっている。
 もうゆっくり寝たいけど、ゼミのレポート提出が明後日に迫っている。
 このままベッドに潜り込みたい気持ちを押し殺して、テーブルの上のパソコンを開き、ワードのアイコンをクリックする。
 そこには絶望的に真っ白な世界が広がっていた。
 とりあえず、その真っ白な世界に一歩を踏み出すため、私は自分の名前を入力した。


 橋本 麗 (ハシモト ウララ)


 小学四年生のときに「自分の名前の由来を調べましょう」と言う宿題が出たことがある。
 私は、麗という名前を気に入ってはいたけれど、読みにくいし田舎町ではキラキラネーム扱いをされることもあり、多少嫌な思いをすることもあった。
 だからこそ、名前の由来や、それに対する父や母の想いを知ることが出来たとき、私はものすごく嬉しかった。
 「麗かな春のように穏やかで温かい心をもった女の子になるように」と、私は「麗」と名付けられた。



 「今日17:30  六本木交差点」

 結局睡魔には勝てず、15時頃までパソコンに突っ伏して寝てしまい、顔にキーボードの痕がうっすら残ったまま六本木まで来る羽目になってしまった。
 なんとか痕を誤魔化すよう、ローラーで顔をこねくり回したり、シュウウエムラのコンシーラーとシャネルのファンデーションで隠そうとしたりと散々格闘したけれどどれも徒労に終わった。
 そんなことをやっていたから集合時間ギリギリの到着になってしまい、カノンがぶりぶり怒っている。
 「ねえ!今日は大事な約束なのわかってる!?」
 「ごめんごめん、大事だから気合い入れ過ぎちゃって。」
 私がすんなり謝ったものだから、カノンはすっかり溜飲を下げたようで、ゴキゲンで私の腕に絡みついてきた。
 「今日どうしよっか。」
 カノンは、私達と同じ場所にいる、おそらく競合となる「港区女子」達を一瞥して、彼女達に聞こえないよう小声で言った。
 「私達より可愛い子いないっぽいから、好きな奴選んでも大丈夫でしょ。」
 私は、ディオールのコンパクトを取り出して、キーボードの痕をチェックする。
 「その強気発言、まじでキララかっこいいー!」

 私の名前はウララ、だ。
 でも、カノンは私のことを「キララ」と呼ぶ。

 初めてカノンと出会ったのは、大学1年生の夏頃。
 サークルの同級生達と、半ば肝試しのようなノリで渋谷のクラブに行った時のことだった。
 生まれて初めてのクラブは、私にとって異世界と呼ぶに相応しいほど、未知の光景が広がっていた。
 黒い箱の中で、人の形をした物が蠢いていて、蠱毒を覗くとこんな感じなのかな、と思ったことを覚えている。
 しかも、その有象無象がうごめく蠱毒の中で同級生達とはぐれてしまい、途方に暮れて巨大なスピーカーの裏でへたり込んでいたところ、「だいじょーぶー?!」とペットボトルの水を差し出してくれたのが、カノンだった。
 その頃のカノンは今と全然違って、シド・ヴィシャスを100倍汚くして毒々しくしたような格好をしていた。
 へたり込んでいた私に声をかけてくれたことはありがたかったのだけれど、蠱毒の中のシド・ヴィシャスみたいな女はとても私の信用に足り得なかった。
 カノンは、そんな私を見てケラケラと笑い、「変なもん入ってないからそんな顔しないでよー!」と言った。
 「あんた、名前はー?!」
 改めてペットボトルの水を私に差し出す。
 私はそれを恐々受け取り、
 「…橋本、麗。」と答えた。
 「え?聞こえなーい!なに?キララ?」
 頭がかち割れそうな程のクラブ音楽に心が折れて、カノンの聞き間違いを訂正する気にもなれなかった。

 それから、毎日のようにカノンに引き摺り回されることになった。
 クラブからの帰り際、カノンとインスタを交換したことを後悔した日は数えきれない。
 しかし、クラブで助けてもらった手前、誘われるとどうにも断ることが出来なかった。
 カノンのバイト先の提灯居酒屋で朝まで飲んだり、売れないバンドマンの彼氏を紹介してもらったり、今にも潰れそうな映画館に「男はつらいよ」のリバイバル上映を観に行ったり。
 そうして、いつの間にかカノンといつも一緒に行動することが自然になっていた。

 そんな感じで、毎日のようにカノンと遊んでいたからサークル活動にも全く身が入らず、そろそろ辞めどきかな、と思っていた頃だったと思う。
 いつものように二人で飲んでいると、カノンが急に泣き出して「彼氏のバンドがデビューをする」と言った。
 私もなんだか自分のことのように嬉しくて、カノンと抱き合ってわんわん泣いた。 
 二人でひとしきり泣いたあと、「レコード会社の偉い人がいっぱいくるお祝いパーティーがあるんだよね。キララも来てよ。」とお願いされた。
 私は、カノンのお願いに応えるべく、貴重な親からの仕送りをはたいて、薄いピンクのミニドレスを購入した。
 美容院で髪のセットもきちんとして、ドキドキしながら、指定された場所に向かった。
 結局私とカノンは、カノンの彼氏に売られただけだったのだけれど。
 でも、そこにいた一人と携帯の番号を交換したことが、今の「港区女子」の私達に繋がっている。


 今の私は、美容院へ行かなくても自分で綺麗に髪を巻くことが出来るし、あの時買ったミニドレスよりも、もっと高額な洋服を毎日身に纏っている。
 ドラッグストアのプチプラコスメを見て「こっちの方が100円安い」だの「こっちの方が可愛いけど値段が高い」だの考えることもなくなった。
 デパートへ行けば、店員が上客の私に似合うコスメを何から何まで教えてくれるようになったからだ。
 カノンも、あの日を境にシド・ヴィシャスを100倍汚くして毒々しくしたような格好は一切しなくなった。

 私達は、今夜も港区女子だ。

 人の思惑が交錯する、西麻布の高級レジデンスの一室。
 大音量で流れるそれっぽい音楽も、酔っ払ってイチャつき始めることも、他人の迷惑になるだなんてここにいる人はそんなこと思わない。
 男達に望まれる通りに酒を飲み、映えと流出を気にしながらインスタに写真を大量に投稿する。
 勿論、ご指名があればベッドを共にして対価を貰う。

 それが、港区女子。

 それが、私。




 私は、バーカウンターで、最近テレビでよく見る大学教授と話をしていたカノンを見つけて、声をかけた。


 「ねえ、カノン、聞いて。
 私の名前、本当はキララじゃないの。
 本当は、ウララ。
 橋本 麗って言うの!」


 カノンが、私の方を見た。
 私の心臓が、トクンと鳴る。


 
「そうなんだー!早く言ってよー!」
 カノンはキラキラとした笑顔を私に向けた。
 「…ごめん。でも、これからはーーー」

 「でもさー、ウララよりキララの方が可愛くない?
 見た目もキララって感じだし。
 これからもキララでいいんじゃない?」

 そう言って、カノンは大学教授の手を取り、別の部屋へと行ってしまった。
 そして、大学教授を先に入室させるとこちらを向いて、手でしっしっと「あっち行って」のジェスチャーをした。



 「ねえ、キララちゃん?だっけ?
 あっちのソファーで少し一緒に飲まない?」と黒々とした肌のイケオジプロゴルファーがシャンパングラスを2つ手に持ち、声をかけてきた。
 「え、やばーい!私、ずっと大ファンだったんですー!!!
 めちゃくちゃ嬉しいー!!」

 そう。
 私は、今夜も港区女子。
 私は、港区女子の、キララなの。

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