【SF(すこしふしぎ)小説】ラミステ ラパステ(後編)
我々は、「ラミステラパステ」の出現によって、「個人としての存在」や「人間としての尊厳」を反故にされている。
「ラミステ ラパステ」を利用しない人間のそういった主張は、現代社会においては傲慢で、原始的で、野蛮だと捉えられている。
「ラミステ ラパステ」の存在が、そもそも「誰もが争わず、否定されず、博愛に満ちたものでありながら、合理的に人間の進化と繁栄をもたらすもの」なはずなのに、利用しない人間は、その恩恵は享受できない。
矛盾している。
おかしくはないか。
何故、俺がこんな思いをしなければならないのか。
ただ、必要とするものが他の人間と違うだけなのに。
今まで、否定され、蔑まれ、苦しい思いをしてきた思いの丈を全て「インターネット」の世界へ投げ入れる。
積年の恨みというやつは、一度吐き出すと堰を切ったようにとどまることを知らない。
しかし、あまり長い時間「インターネット」に接続していると、「ラミステ ラパステ」の監視の目にかかってしまう。
そろそろ引き上げるか。
「スレッド」を落とす作業に入る。
こんなものを残しておいたら「ラミステ ラパステ」に「逮捕してください」とお願いしているようなものだ。
しかし、ここで俺は痛恨のミスをする。
作業中、他の人間によって「スレッド」が更新してしまったのだ。
馬鹿が、「ラミステ ラパステ」に見つかったらどうするんだーーー。
「オマエ ノ 気持 ワカルヨ」
「インターネット」から抜け出る瞬間、産まれて初めて俺に理解を示す言葉が、画面をよぎった。
予想外の客人の出現に気を取られて、俺は危うく操作を誤るところだった。
結婚式の準備もいよいよ佳境を迎えていて、紗季はほぼ毎日、仕事が終わると式場との打ち合わせに足を運んでいる。
毎回毎回同じようなことで、あーでもないこーでもないとプランナーと話していて、正直ついていけない。
今日も、紗季は式の打ち合わせだ。
俺は、接待と嘘をついて新居の最寄り駅から3駅前の居酒屋でビールを煽り、その時間をやり過ごしていた。
そして、あの「理解者」について考えていた。
あの「スレッド」を更新した奴も、俺と同じことを考えているのだろうか。
そして、俺と同じように周りから侮蔑され、屈辱に塗れて生きているのだろうか。
この世に産まれ落ちてから数十年、この世の理をぼんやり掴めるようになり、努力しても無駄なことも、自分が正しくても諦めなければならないことも、一通り経験した。
周りから見れば奇怪で理解し得ない「俺」の存在を、なんとかこの世に留めるための処世術も身につけた。
「世の中なんてそんなもの」と折り合いをつけながら。
そんな俺に「理解者」が現れたーーー。
「インターネット」の世界には、俺と同じような奴、もしくは、俺の理解者となり得る奴が、少なくとも存在はしているのか。
そもそも、俺のような異端の人間に共感し、気持ちを寄せてくれる人間を、いまやこの世の掃き溜めと化した「インターネット」の深部から引き上げて、救い出すことすら、俺の使命ではないのか。
ーーーいや、それは違う。
俺は、すぐ思い直す。
俺はもうすぐ結婚する。
最愛の女と生涯を誓い、子どもを作って、家を買って、犬なんかも飼う。
それが、「幸せ」ってやつで、それ以外俺は求めてはいけないし、求める必要もないものだ。
掃き溜めにいる「理解者」なんて、俺に必要なものではない。
そんなものを下手に求めて「インターネット」に散々っぱら潜り込んだら、いずれ「ラミステ ラパステ」に見つかってしまう。
いくら世の中に文句があっても、犯罪者にはなりたくはない。
そうだ、俺には必要ない。
帰宅すると、紗季がリサイクルショップで見つけたアンティーク調の振り子時計が、丁度22時を指していた。
紗季はまだ帰ってきていない。
こんな時間まで紗季に付き合わされているプランナーに同情しつつ、結婚式が済めば、このプランナーの立場が俺になると思うと、恐ろしくて寒気すらした。
寝室のクローゼットの奥には、「パソコン」が音も立てずに眠っている。
紗季は気味悪がって、このアパートへ入居するときに再三「パソコン」の処分を求めてきたが、「パソコン」以外は俺の持ち物は紗季の好きにしていいということで、俺の「パソコン」は生きながらえた。
あの時の、まさに「苦虫を噛み潰したような」紗季の顔は忘れられない。
「パソコン」は紗季に対して何も悪いことをしない。
紗季に迷惑をかけることも、嫌なことを言うわけでもない。
ただ「そこに存在している」だけなのに、何故こんなにも嫌われなければいけないのか。
結局「パソコン」を起動し、また「インターネット」へと潜り込んでしまった。
そこから俺は、「理解者達」を見つけて集めるまで、時間はかからなかった。
俺が知らなかっただけで、「理解者達」は皆、今までもずっと、各々のやり方で「ラミステ ラパステ」の目を欺き、自分のやり場のない怒りや不満を「インターネット」に吐き出していたらしかった。
俺は、それを知ると「ラミステ ラパステ」に干渉されないほんの数分に全てをかけて、理不尽や不条理を嘆き、「インターネット」に集まる者達に共感し、慰め、励まし続けた。
その行為は、過去の俺を俺が肯定してやるために行っていた、ということも今思えばあったかもしれない。
そして、いつしか俺は、その掃き溜めに集まった社会不適合者達の中心となり、この世を変える「変革者」と崇められていった。
時間も人も流れるものには逆らえない。
それはこの世の理であり、抗うことは不可能である。
気の遠くなるほど、永い永い間人類の進化と繁栄を一手に引き受け、それを享受する者全てを「幸福」に導いてきた、「ラミステ ラパステ」。
それと引き換えに人類は、人類たらしめる「智慧」の進化と発展を放棄してきた。
俺達、「社会不適合者」が、そろそろそれを翻し、人間としての「真の幸福」を考え、実践すべきではないかーーー。
俺は、「変革者」として、もっともらしいことを、扇動的に、情動的に、今日も「インターネット」の世界で声高に謳う。
俺は、そうして「変革者」としての使命を全うしていた。
その自負も強くあった。
ーーーあの「川崎邸襲撃事件」までは。
川崎 肇 (かわさき はじめ)
日本における「ラミステ ラパステ」の第一人者であり、権威。
日本政府に「ラミステ ラパステ」の利用を推奨させ、普及を促進させた「諸悪の根源」だ。
関東全域に梅雨入りが宣言された6月半ばの大雨の夜、反「ラミステ ラパステ」の活動家ら5人が、東京都渋谷区にある川崎邸を襲撃した事件が「川崎邸襲撃事件」である。
その目的は、「川崎 肇の権威失墜及び、反『ラミステ ラパステ』への翻倒」であったが、この要求を川崎が拒否した結果、襲撃犯の1人が激昂し、その日たまたま遊びに来ていた川崎の孫娘を殺害してしまった、という凄惨な事件が起こった。
そして、その首謀者と目された人物ーーー。
ーーー俺、だった。
「川崎邸襲撃事件」の約半年前、俺はいつも通り「インターネット」の世界の中で、理不尽と不条理を嘆き、「社会不適合者」の共感と崇拝を集めていた。
そこに「川崎 肇をヤッたらどうか」という議論を持ち掛けてきた奴が、いた。
その議論は昼夜を問わず白熱し、「ラミステ ラパステ」に危うく見つかりそうなほどの大論争に発展した。
そんな状況で求められるのは、崇拝される者にして「変革者」である俺の「啓示」だ。
勿論、俺は「変革者」たらんと、求められている言葉をいつも通り、煽情的に、情動的に語った。
「川崎 肇を翻倒させる、もしくは抹殺し得る方法は考えてもいいかもしれない。」
ただし、俺が「インターネット」で、川崎 肇及び、川崎邸襲撃事件に関して発言したのはそれだけだ。
襲撃事件を画策したのは、俺ではない。
首謀者であるはずもない。
川崎邸の襲撃を企て、実行したのはその5人だけなのだ。
しかし、その5人全員が「『変革者』のお導きの下、実行した」と供述した。
また、不運は重なるもので、川崎邸襲撃事件と同時期、「インターネット」の世界で民衆を導くべき「変革者」であった俺は、現実世界の結婚式の準備など完全に上の空だったのだが、それに苛立った紗季が、あろうことか「婚約者が『パソコン』を使って『インターネット』に接続している」と警察に密告して、姿を消した。
当然、警察のガサが入り、俺の「パソコン」は押収され、その「ログ」から、川崎邸襲撃犯が「変革者」と供述する人物と認定されてしまった、というわけである。
俺は逮捕された。
そして俺は、この世を嘆き、獄中で自らの命を絶った。
そのことにより遂に俺は、「変革者」から「神」へと変貌を遂げることになるーーー。
春一番もようやくおさまり、桜の花も眩しく開き始めた3月の終わり、俺はある公園のベンチに座っていた。
「インターネット」における「真実」は相変わらず独り歩きをし、それに触発されて時々ボヤ程度の「革命運動」は起こっているが、今俺は、いくつかの軽微な罪を償ったあと、こうして元気に陽の下にいるのである。
得てして「真実」なんてこんなものだ。
水色のワンピース姿の女ーー俺の新しい女の優美ーーがこちらに向かって走ってきた。
俺は、時間を確認する。
15時20分。
待ち合わせの時間までまだ10分もあるのに、律儀な女だ。
優美は微笑んで、俺に言った。
「もう着いてたんなら連絡してよ。急いだのに。」
「桜が綺麗でさ、見惚れてたら連絡し損ねてた。」
「連絡なんて3秒あれば出来るでしょ!」
優美は笑いながら、俺に言った。
そう、連絡なんて3秒あれば出来るのだ。
「ラミステ ラパステ」を使えば。
俺は出所後、「インターネット」の世界には二度と潜り込まないこと、そして「ラミステ ラパステ」を享受し、利用することを誓わされ、それを担保に、今こうして娑婆での生活が出来ている。
「ラミステ ラパステ」を享受した世界は、それまでのそれとはまるで違って、鮮やかに煌めいていた。
俺を否定する者は一人としておらず、「ラミステ ラパステ」の大命題であった「誰一人取りこぼさない、完全なる平等と平和」が目の前にあった。
「ラミステ ラパステ」は人間の生活のほぼ全てを補完し、惜しみなく恩恵を与え続けている。
何も求めず、何の不満も不平も漏らさず、ただ、そこに「存在」し、人間の進化と発展に寄与しているだけのものだった。
俺は、何故あんなにも頑なに「ラミステ ラパステ」を否定し続け、闘ってきたのだろう。
「ラミステ ラパステ」は俺に対してに何も悪いことをしない。
俺に迷惑をかけるわけでもないし、嫌なことを言うわけでもない。
「『ラミステ ラパステ」を否定し続ける俺」は、結局何がしたかったんだ。
今となっては、もうそんなこともどうでもよかった。
俺は「ラミステ ラパステ」を享受することで、この世に「存在すること」を許された。
その俺は、色鮮やかな世界の中で、愛する女と一緒に幸せを分かち合っている。
なんて素晴らしい世界なんだ。
なんて簡単に幸せを享受出来る世界なんだ。
もう二度とあんな理不尽な思いもしなくていい。
もう二度と不条理に苦しめられなくていい。
ああ、「ラミステ ラパステ」って最高だ。
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