いつまでもあると思うな親と金
会う度に老いを感じている。
昔は空手で体を鍛えていて、恰幅良かったのに、今は腰が痛いとか、足が痛いとか、すっかりしぼんでしまったおとん。
『あっちゃん、頑張れよ』とか、『いつまでもお前と一緒にいれないから心配だ』とか最近よく言うから、そろそろ死ぬのかな?とか思う。
昔は心の底から大っ嫌いだった。
今もやっぱこの人マジ無理ー合わないわーって思うことは多々あれど、時間が経てばずっと元気で私のおとんとして存在し続けて欲しいと願っている。
私が忘れてしまっている家族の思い出や記憶は、おとんがいなくなる時にこの世界から一緒に消えてなくなってしまう。
だから、今のうちにたくさんおとんのこと、おかんのこと、私のことを聞いておこうと思っている。
子供に恵まれなければ、最後となる肉親。
今私の存在を誰よりも喜んでくれるのは、やっぱりおとん。
兄弟が7人もいて、子供だっていたのにおかんは孤独な人だったから、親がいたら、兄弟がいたら、子供がいたら孤独じゃなくなるわけではないってことは分かってる。
でも夫と何かあって、天涯孤独の未来がきたらどうしよ〜ってどうしようもない恐怖心にかられる。
まだまだ思考とエゴに化かされちゃう(汗)
そんな未来は来ない!私は夫と大往生して子宝にも恵まれて夫と子供と孫に囲まれて幸せな人生のフィナーレを迎えるんだ!!とすぐさま上書きをかける。
おとんは明日は明日の風が吹く、金は天下の回りものってタイプで、貯金ができる人ではない。
だから、お金の管理はおかんがしていた。
でもおかんが亡くなってから、貯金がどんどん減ってる、もうすぐ底つくよって、ここ数年聞かされてきたから心配していたけど、むしろ倍近く増やしていた。
何嘘。
誰得。
やれば出来るじゃん。
まさか、臓器でも売ったか!?
何はともあれ一先ず、安心。
あの破天荒で風来坊だったおとんがしっかりと貯金出来るようになるなんて、人は変わるもんだと思った。
が、おかんを亡くして逆に本来の自分じゃなくなってしまってるようにも思う。
今のおとんの方が好きだけど、昔の破天荒でどうしようもないクソ親父なのが、本来のおとんなんじゃないかと思う。
帰り際バス停で『これ、交通費』って梅子を握らされた。
帰りのバスに乗っておとんに手を振る時、寂しそうに手を振るしぼんだおとんの姿に毎度、なんとも言えない気持ちになる。
お金が稼げるようになって自立したつもりになってた頃の自分は、二人の人生を見下してイキっていた。
まさに強さを履き違えていた。
私の周りにはお金持ちの友人が多くて、社会人になってもお小遣いをもらったり、携帯代を払ってもらったりしていて、羨ましかった。
対して私は、お金がないと日々聞かされながら、奨学金を掛けさせないで大学に行かせてやった事を感謝しろってちょいちょい言わることに、ムカついてたから10年かけて大学の学費を返済して、なのに相変わらずお金ないって言われるのが本当に嫌で、無能な親認定をくだしていた。
精神疾患の母に、短気ですぐ仕事を辞めてしまう父。
こんなダメな両親のもとに産まれなければって、親ガチャ外れたって2人を恨んでいた。
私って可哀想って思ってた。
そして、ダメンズを自ら好み、大切にされない苦しみを自分でどうにも出来なくて、二人に当たり散らかしていた。
二人を責めないと立ってられなかった。
それだけ二人に甘えていた。
母子癒着や共依存が強力過ぎて、大人になるための長すぎる反抗期だったのかもしれないとも思う。
二人には申し訳なかったけど、あの頃があっての今の私だと思う。
多分うちの家族は、いい父親(夫)になれなくて、いい母親(妻)になれなくて、いい娘になれなくてごめんなさいってみんな自分を責めている。
ちょっと前までは、東京喰種の『この世の不利益は当人の能力不足』ってセリフに胸をえぐられながらも共感して、私がもっと優秀な娘だったら家族に降りかかる不幸も自分に降りかかる不幸も、何もかも回避できたんじゃないかって自分をめちゃくちゃ責めて、無能な自分を嘆いていた。
でもみんな、自分なりに日々を精一杯に生きてきた結果であって、おとんも、おかんも、私も、みんな悪いと言えば悪いし、誰も悪くないと言えば悪くない。
でも結局誰も悪くないじゃんって、被害者にも加害者にもならないでいられる自分でありたい。
本来、自分を幸せにできるのは自分だけなんだから、私の不幸の責任は私のものだし、おとんとおかんの不幸の責任は二人のもの。
だから、私にはどうすることも出来なかった。
根本先生のセッションを受けてから、自虐ではなく無能でアホな自分を受け入れて許すことが出来るようになって、楽になった。
自分がアホで無能で、優秀な人間じゃながったからこそ、得られたものもあったことに気付かされた。
物事は多面体。
愛から見るか、恐れから見るか。
自分がどんな角度から観測するかで、真実はいかようにも変わる。
完璧な人間なんていない。
みんな違ってみんな悪い。
逆に言えば、誰も悪くない。
二人には今、心からのごめんねもあるけど、心からありがとうの気持ちの方がいっぱいになった。
だけど、おとんはおかんを亡くしてから自暴自棄で、もういつ死んでも良いやって投げやりな感じで生きている。
おとんの幸せはおとんにしかどうにも出来ないことだけど、孫でも出来たら長生きしたいと思うきっかけくらいにはなるだろうか?
子供なんて今の私に育てられるはずないし、幸せに出来るわけもない、だからもっと自分を成長させてからでないと無理って、自信のなさから逃げ続けてきた。
だけど、アホな私が立派にちゃんと子育てするなんてはなっから無理な話だし、頼れるもの全てに頼りまくって、それでも足りない時は自分の貯金を使い果たす覚悟を決めて、お金に糸目をつけずに解決して、楽をしようと決めたら前向きになれた。
それに子供の幸せだって、子供のもの。
自分が握ってるなんて思うのは、烏滸がましい話。
昔は子供が欲しくないことを素直に認められなくて、嘘ついてみんなに合わせて『私も早く子供欲し〜』とか言っちゃっていたけど、嘘が本当になり始めたことを嬉しく思う今日この頃。
しかし、授かれるかすでに怪しいお年頃。
卵巣嚢腫で手術もして、子宮頸部異形成とも4〜5年戦ってきた私の身体に神様は微笑むだろうか…
必死にだけはならない様に、出来たら出来たで、出来なかったら出来なかったで、今やりたいことを最優先に毎日を楽しんでいこう。