私が文豪オタクになるまでの道のり
今回は私が文豪オタクになるまでの道のりを語ろうと思う。私はあまり本を読まない子どもだった。それでも好きな本はあり、宮沢賢治(以下敬略称)の『銀河鉄道の夜』がお気に入りであった。宮沢賢治は私にとって一番身近な文豪であった。小学生の頃に「クラムボン」を読んだ衝撃は今でも覚えているし「雨ニモマケズ」を暗誦して発表したことも覚えている。当時の私は青色が好きで宇宙や鉱物に興味を持つ子どもだった。だからそれらの要素が詰まった宮沢賢治の世界観は私の感性にぴったりと当てはまったのだろう。とにかく私は宮沢賢治の作品が大好きであった。(勿論今も大好きである。)
時は経ち、勉強に明け暮れる日々が続いた時、私は気晴らしに漫画が読みたいと思った。少年漫画は続きが気になって仕方がなくなるから辞めようと思い、読むなら知識が増えそうなものが良いと思って見つけたのが『文豪失格』という漫画であった。これは日本の学校に通っていた者であればおそらく一度は聞いたことがあるだろう芥川龍之介や太宰治、志賀直哉などが登場し、彼らの史実を元にしたギャグ漫画である。この作品には宮沢賢治も登場していたので、彼の人生を知らなかった私は賢治を知る良い機会だと思い、読んでみることにした。
衝撃だった、ほとんどの人が作品に触れたことがあるであろう宮沢賢治は生前は売れなかった作家だということ。賢治は仕事と両立しながら作品を書いていたということを。そして当時から賢治の才能を理解していた一人の詩人が存在したということを知ることになった。
その詩人こそ中原中也である。烏滸がましく思うかもしれないが、私は嬉しかった。当時賢治の作品が売れていなかったとしても、才能を見抜いて評価していた人物が存在していたというのがなによりも嬉しかった。
(今なら分かる。賢治さんの才能は生きている当時から人々に評価されていたが、本人が地方で執筆をしていた等、地理的な要因もあって中央文壇まで声が届かなかったのだろう。この点は中也さんが「宮沢賢治全集」という文章でも指摘している。しかし当時の私は賢治さんのことは何も知らずとにかく"売れなかった"という事実に大きなショックを受けたのだ。)
そんな勝手で烏滸がましい賢治への私の同情心はいつしか中也についてもっと知りたいという好奇心に変化した。それが私が文豪オタクになるまでの第一歩である。
それ以降私は図書館へ足繁く通うようになり、読書の機会が増えた。趣味の世界が大きく広がったのである。そして、中原中也だけに留まらずその友人たちにも興味を持ち始めることになり、気がつけば文豪オタクになっていたのである。