⛩ 初詣
元旦に近所の弁天様へお詣りに行って来ました。
世界平和とか、そう言う大それた事をお願いできる感じでもなく、小銭を握りしめて。
昨年、お詣りに行った時には既に退職する覚悟でいたけれど、50に手の届くオバちゃんにどんな未来が待っているのか、自分自身でも見当がつかなかった。
それでも何か新しい自分を見つけたくて、半年間の大学の履修プログラムへ出願し、一歩踏み出してみた。
遠回りも覚悟していたけれど、結局は大学の履修プログラムを受講する中で、見えてきた自分を信じ、いろんな縁が繋がって、現在地にいる感じ。時と縁に身を委ねたら、自分では決して辿り着く事のない場所に辿りついた。
私は運と縁に恵まれている最強のアラフィフである、と1年かけて結論付いた。
ホント、いま振り返ると、全てのプロセスが必然的で、繋がっているのだ。8年勤めた会社を辞めるきっかけになった『モヤモヤ』さえ、大事なプロセスに感じている。
たぶん、この仕事に巡り合ったのも意味がある。
小銭に想いを乗せ、与えられた出会いに感謝し、与えられたその場所で、しっかり自分の役目を果たす事を誓った。今年の私は願わず、誓っていた。
最近は自分からは、基本、年賀状は出すことはしていない。
それでも、何通か今年も頂いた。頂いた年賀状の大半は、前々職の関係者からだ。
もう辞めて10年近くなるのに有り難い。
そのほかの1枚の中に、中学時代に通っていた塾の先生からの年賀状がある。私が10代の時に、いまの私くらいのはずだから、70才は超えているかと思う。個人塾を経営していた英語の先生だ。いまの年になれば分からないでもないが、私に高校浪人を密かに勧めてきた変人だ。
高校生になるのに浪人してる人なんて私はまだ会った事がない。
とはいえ、高校1年の夏休み、まだ往復航空券だけで36万円だった時代に、私の家に電話をかけ『カナダに行かせてあげて欲しい』と頼んでもないのに電話をくれ、親を説得してくれた恩人でもある。
留学でもなく、ホームステイでもない。35年前、ひとり娘を海外に行かせてあげて欲しい、と言う先生の後押しがあって、15才の私はひとり成田空港を発った。あの日があったから、海外出張でもなんでも断らない自分がいる様に思う
なぜ、あの日、高校浪人を勧めて来たのか。
私は父親が41才、母親が37才の時の子どもで、ずっと『いつか親は死んで居なくなる頼れない者』と言う思いがあった。おまけに、決して裕福ではなかった。
だから、親には頼らず自分でバイト料を貯めて海外に行くと決めていた。その条件として、親とは公立高校への進学を約束し、それを叶えるため、偏差値20下げた高校を受験した。もちろん中学の担当からも軽い反対にあったが、成績1番で入学し、新入生代表で挨拶する人になる、と約束した。
そこから受験勉強もしていないので、私は新入生代表で挨拶する人にはなれなかった。けれど、大学受験のための予備校に通う事もなく、成績は何もしなくともそれなりで、その後は受験勉強を経験せずに推薦枠で進学した。そう言う人生もある。
一方で、一生懸命勉強した人生はどうだったんだろう、という軽いコンプレックスもずっと未だに引きずっている。
あの時の怒りも悔しさも、ラッキーも、みんな今日に繋がっている。
そう言う『偶然と必然』に、今は感謝したい。
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