人間、誰もが死亡率は100%

人生100年時代の折り返し、アラフィフ真っ盛りのもかおです。

来週の火曜日に監査がありまして、準備のために明日からの三連休も2日は出勤になりそう。
実は、先週の土曜日も滅多にしない休日出勤しました。

平日の出勤日よりは早めに上がり、夕飯の支度して、母を呼びに行ったら、ベッドの上で仰向けのまま倒れてました。座ってお菓子食べてたらしく、口にはお菓子が入ったまま。
目は開いているものの、焦点があわず、呼びかけに対する受け応えはできない状況。でも、ないかを掴みたいようなそぶりで、手を伸ばして探してるかのよう。タオルのハンカチを掴ませたら、目を拭いてました。

長男に電話を持ってくるように頼み、救急車を呼びました。
110だっけ、119だっけ?

玄関周りの邪魔になりそうな荷物をとりあえずリビングに移し、私はサイフを確かめ、通勤用リュックに入れて、ケータイを掴んだまま救急車の到着を待ちます。長男に外に出て、誘導してもらうように依頼。

救急車の中に母と乗り込み、病院へ。実はこのコロナ禍にこの病院に救急で運ばれたのは3人目。(コロナではありません)  救急車の中で病歴や手術歴、飲んでる薬など聞かれるも、全然、要領良く答えられず。手術も2年前なのか、10年前なのかも分からない。ひとりっ子なので、全ての手術に付き添ってきてるけど、子どもと違い、紐づくイベントも少なくって、時間軸が曖昧。長男が生まれたときに大腸癌の手術(いま思えば、私が中学生の時にも大腸癌やってる)。10年くらい前に心臓に人工弁入れてる。その前後に何回かに分けてステント入れてる。両膝に人口関節。最後に手術したのが3年前くらい。

病院へ着くと、長椅子に座って待ってるように言われ、母はMRIを撮ってもらった。
待合室ではケータイの電波が届かないようになっていて、救急の出入り口から外に出て、子どもへ電話する。すぐ向かうと言う長男に、とりあえず夕飯食べて連絡するまで待機してほしいと伝える。持ってきてもらいたいものがあるかもしれないし、来ても私もずっと座って待ってるだけで説明もないし、会えるわけでもない。

しばらくして呼ばれ、MRIを見ながら説明を受ける。

一番太い血管が完全に詰まって、血液が届かないところは壊死して、色が変わってるでしょう。これだけ広範囲となると、命も危ないし、無事であっても重篤な後遺症が残ると思います。MRIの画像から判断するに、少なくとも6時間は経ってると思われ、やれることは現状なにもない状況です、とのこと。

朝、出勤時にベランダに洗濯物を干してるのを確認したのが最後。帰ってきたときに暗いのに布団が取り込んでないとは思ったけれど、熱くなりすぎたのを冷ましてるのかなあ、くらいに思って、夕飯できるまで声かけなかった。

病院の準備します、と言われて、私は子どもたちを呼んだ。

このコロナ禍、最期になるかもと思った。子どもたちが到着してまもなく、病室へ移動すると呼ばれた。声は聞こえてるようだった。目は開かなかった。

エレベーターで一緒に病室へ行った。子どもたちは声をかけ、手を握った。母も力強く握り返してきた。聞こえるの?と聞くとうなずくように見えた。

グーチョキパーできる?
と言う看護婦さんの言葉に反応して、グーチョキパーを繰り返してみせる。
声も出せず、目も開いてないし、脳もかなり損傷してるけど、子どもたちの手の温かさ、声は伝わったと確信出来た。


それから6日。

容態の改善は見られず、意識はないようだ。脳も浮腫んできて、圧力を下げる薬、保護する薬を点滴で入れてるそうだ。肺炎まではいかないが気管支炎が出てる。抗生剤で熱などはある程度コントロールできてるとのこと。

本人は痛みも苦しみも感じられていない状況と言う理解で良いですか。

その理解で間違いない。今が脳の腫れのピークと思われ、乗り越えられれば、別の病院へ移って貰うことになると思うし、ダメな場合は延命措置を望まないと言う事で大丈夫ですか。

本人が苦しくないようにと言う事だけを優先していただければ良いです。

続く

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