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できない、わからないの先に
自分は特定のスポーツが抜群にできたわけではないが、スポーツ遊びだけは小さい頃から好きだった。いつも疑問が湧いている状態が日常だったことを思い出す。
できない。
わからない。
あの同級生にできて自分にできないのはなぜか。そもそも自分のカラダを思い通りに動かせないのがわからない。
いろいろな能力が徐々に上がっていく実感がわかる中学生になると、自分が勝ちたかった相手たちはスポーツ種目を絞り始めてス
回り道こそすばらしい
自分はごく普通の人間で小さいころから何かに秀でていたということはない。一つの基準である学力が優秀な子は中学で市外に出ることもあるが、クラスにひとりは「なかよし学級」の同級生がいるようなごく一般的な地域の中学校に通っていた。
そのことを少し思い出すと、ちょっとだけみんなについていけない一人の同級生の行動をよく覚えている。その彼は暗記するような学習は得意なのだが、思考力を問うものだったり、みんなで協
ニュートラルポジション
骨盤、背骨、肩甲骨、頭などがいい位置にないとカラダはうまく動かない。毎日鉄棒ををしたり、走ったりすると調子がいい日とうまくいかない日が必ずあり、その状態を説明できるのが(自分なりの解釈でね)トレーナーとしては重要だと思っている。
そのタイミングでピラティスを習った。
自分自身としてはトレーニングの一環でフットサルも思い通りにできているし、冬にスキーも楽しんでいて、体の不具合はまったく感じていな
扁平足でも悲観することなかれ
扁平足の特徴はアーチ(土ふまず)が沈んだ状態をいう。それは特徴なので本人は気にしていない。なので周りのものがわざわざマイナスな言葉がけをする必要はない。マッサージしようが足底筋(足裏の筋肉群)を意識して鍛えようがアーチはつくれないし、つくれないなかでの正しい動きを身につけることが大事なのだ。
確かにアーチは足の動きにおいて重要な役割をするが、偏平足の特徴をもっているからといって不具合があるわけで
走幅跳、おもしろい。
去年の話を回想する。「県総体、5m82(+1.9)で19位でした。」とメッセージが入った。それを見た瞬間、しっかり記録が残せて、やっと跳躍選手になったなあ、と感慨も一入(ひとしお)だった。本人はここで6mを跳べると信じていたので悔しいと思ったに違いないのだが。
6月4日にその中学校で中学3年生に健康づくりのための講義をしたあとに陸上部の顧問の先生に誘われてグランドに行ったことから始まった。「一人
久保建英か中山雅史か
苦手でも得意でも一定の「計算力」は人間が生きていくうえで多かれ少なかれ必要だ。そのために算数の授業で九九を訓練し、その技術をもって割り算に向かう。それは好きでも嫌いでも避けて通れない道である。
スポーツを楽しくやらせたいという親御さんの話を聞くと違和感が残ることがある。
野球をやるにもサッカーをやるにもまず楽しむための体力や身体を操るベースがいる。基本である九九を十分やっていないのに割り算や分
ブラックはホワイトに屈す
昨今問題となっているスポーツ界のパワハラ問題も、威圧的にする指導者が選手に「勝つ」から起きてしまう。自分が幸運だったのは競技をやっていてそんな威圧的な指導者に全く出会わなかったことだ(無頓着?)。だからそのような理不尽な指導方法に反発するときに出るブラックなパワーを自分では生み出したことがない。
おそらく、このブラックパワーがスポーツ界では横行しているのだ。このパワーは即効性はあるが生涯通し