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椋鳩十と法政大学 純粋な美を追求した動物文学の金字塔

2024/3/28発行 新歓号(1058号)

 『大造じいさんとガン』という文学作品をご存じだろうか。老齢の猟師とガンの頭領「残雪」とが知恵を比べ合うという内容の童話だ。おそらく多くの日本国民が、小学校の国語の授業で読んだことがあるだろう。実は『大造じいさんとガン』の著者椋鳩十は、本学の卒業生である。

 椋鳩十は本名を久保田彦穂といい、1905年に長野県下伊那郡喬木村の牧場主の次男として誕生した。南アルプスと中央アルプスに挟まれた緑豊かな土地、伊那谷。大自然に囲まれたこの場所で椋は、山での鉄砲打ちを愛好していた父と共に山へ入り、囲炉裏端で祖母から昔話を聞かされて育ったという。椋はヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』に大変に感銘を受けて「運命の書」と呼び、後にその舞台であるスイスに幾度も足を運んでいる。「運命の書」との出会いが海外の世界への好奇心を掻き立て、椋の視線を国外へと向けさせたのである。

 椋が法政大学に入学したのは1924年であった。当時、法政大学は市ヶ谷にキャンパスを移して3年目で、法律学校から総合大学へと躍進し「進取の気象」ムードの只中にあった。学生時代の椋は、法文学者の豊島与志雄や英文学者の森田草平に特別に目をかけられ、仏文科や英文科の講義ばかり聞いていたという。当時漱石門下の牙城であった本学において、漱石門下の豊島・森田両先生の指導の下、椋は充実した大学生活を送った。

 詩との邂逅は、椋にとって人生の転機となった。新感覚派の時代に合った当時、詩の世界に心を奪われた椋は在学中、日本を代表する詩人であり作詞家の佐藤惣之助に師事し、佐藤の結成した詩人クラブ「詩之家」の同人となる。椋は「久保田彦保」のペンネームで、1926年に自身の第一詩集となる『駿馬』を自費出版。感覚的、直観的に自然を捉える椋の作風は、紛いもなく彼の自然に囲まれた幼少期に育まれた豊かな感性の上に成り立ったものであった。翌年に出版した第二詩集『夕べの花園』は抒情詩的方向に進んだものとなり、「時流にこだわらず、書きたいように書いた」と後に椋は述懐する。椋はやがて「純粋の美とは何か」を考えるようになり、『リアン』という同人誌を作品の発表の場として刊行した。

 大学時代に読み耽ったもう一つの「運命の書」として、椋はジャック・ロンドンの作品を挙げている。ジャック・ロンドンは1916年に40歳の若さで服毒自殺を遂げたアメリカ合衆国の作家であり、代表作である『白い牙』や『野生の呼び声』は日本においてテレビアニメ化もされている。椋はジャック・ロンドンについて「日本では動物作家のように思われているが、実際には社会問題を扱った作家」であり、「私の人生に大きな転機をもたらすことになった」と語っており、椋のその後の活動にジャック・ロンドンが大きな影響を与えていたことがわかる。動物と人間との関わりを描いた作品が多い中、『どん底の人々』など社会の最下層の人々に焦点を当てたルポルタージュも残したジャック・ロンドン。社会を厳しい目で見据え、筆を執って世に訴えかけたジャック・ロンドンとの出会いが、椋をただの動物作家に留まらせなかったのである。

 椋は1930年に本学法文学部(現在の文学部)の国文科を卒業する。卒業後は姉のいる鹿児島の高等学校に代用教員として赴任し、その後姉の紹介で同県加治木町の加治木町立実科高等女学校(現在の鹿児島県立加治木高等学校)の国語教師に着任した。教職の傍ら創作活動を続け、1933年には「椋鳩十」のペンネームで初の小説となる『山窩調』を自費で出版した。

 『大造じいさんとガン』は、『少年俱楽部』1941年11月号に掲載された。40年に大政翼賛会が結成され、翌年太平洋戦争へと突入していく中で、日本では一致団結が謳われ、いわゆる翼賛体制下にあって勇ましい物語が溢れた。椋はそうした風潮に対抗するため、大造じいさんとガンの残雪との知恵比べを通して命の尊さを訴えたのである。1930年以降童謡や動物譚を精力的に執筆した椋の視線は、常に自然へと向けられた。幼少の頃の伊那谷での経験が、椋の自然への敬慕を已まぬものとしたのであろう。

 戦後、椋は過去に弾圧を受け辛酸を嘗めた山窩小説に再び向き合い、執筆に意気軒昂に取り組んだ。鹿児島県立図書館館長と鹿児島女子短期大学の教授を歴任し、「母と子の20分間読書運動」を提唱して全国で読書を奨励した。図書館館長に在職した19年間で椋が成し遂げた功績は大きい。戦後崩壊していた図書館機能の回復を目指し、資料孫図書館と共同で運営を行い、市町村図書館を設置できない市町村に図書館を設置し県立図書館が支援するという仕組みを構築したのである。これは図書館学において鹿児島方式と呼ばれ、後の図書館ネットワークの原型となった。

 1987年に82歳で逝去するまで椋は旺盛に創作活動を続け、生涯を通して幾つもの文学賞を受賞している。本学卒業生の椋鳩十こと久保田彦穂。学生時代の彼の貪欲な好奇心と溌剌とした創作意欲が、彼を動物文学の大家たらしめたのであろう。 (飯田怜美)


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