宗教と文明の連続と非連続
グローバル時代の情報と宗教
高度情報社会とともに急激に展開するグローバル化、その結果として人類は一定の価値基準の共有の必要性が、加速度的に高まっている。確かに、IT技術の発達、移動手段の進歩などにより、あらゆる方面で情報量は爆発的に増えている。今や我々は居ながらにして、世界の隅々の情報を得ることが可能である。その意味で我々は人類が嘗て体験したことのない素晴らしい生活環境の中に生きている。
しかし、その一方で、情報の氾濫は情報そのものの価値の判断を危うくする。2017年にアメリカ大統領に就任したトランプ氏が「ファイク・ニュース」と連発して、メディア報道や、情報そのものの存在意義に大きな問いを投げかけた。もちろん、本書で情報とは何かを論じることはできないが、高度情報化とグローバル化によってもたらされた情報社会の問題点が、トランプ氏によって浮き彫りになったことは事実である。
今や情報は身近なところに溢れている。問題はその情報を如何に判断するか、あるいはできるかということである。さらに言えば、身の回りに溢れる情報は、実はそれだけでは単なる記号に過ぎない、重要なことはその記号を、自らに有益な情報として活用できるか否かである。つまり、現代社会は、情報の収集に関しては、PCなどを使うことで簡単に取得できる時代になったが、その一方で溢れかえる情報から、自に有益な情報を如何に選び取るか、そしてそれを如何に活用できるか、ということである。特に、情報の選択、活用能力が非常に重要な時代になってきたのである。特に、情報の真贋を判断し得る正確な情報判断能力が必要不可欠となる。そして、そのためには情報の背後にある正確な知識、教養が不可欠となる。
というのも単なる記号化された情報は、リアリティーを持たない。少なくとも、有効性が希薄となり、いわばバーチャル(仮想的)、あるいはアンリアリティー(非現実)なレベェルでしかない。しかし例えば、自らの生命や財産に直接かかわる情報が、その中にあったとすれば、我々はその記号から、重要なものを情報として認識し、活用できるか否かは、自らの財産の増減、さらには生命の存亡にも直接かかわってくる。そして、グローバル時代とは、まさに従来の閉ざされた世界の壁、言い換えれば自らを守ってきた情報のバリアーが取り払われ、あらゆる情報がいわば自己責任において判断し、処理しなければならない時代ということである。
このような時代において、重要な情報とは何か?政治、経済等々日々の生活に関わる情報は、重要であることはもちろんであり、議論の余地はないであろう。しかし、本書で扱う宗教についてはどうであろうか?一般的な日本人の宗教理解では、グローバル時代、つまり科学が高度に発展してゆく現在にあって、宗教は過去の遺物であり、より科学が進歩すれば宗教は衰退してゆく、というような漠然とした「宗教無用論」的な意識がいるかもしれない。日本人がそのような宗教観を抱くに至った理由はのちに検討するが、実際のグローバル社会においては、宗教は衰えるどころか国際社会に良きにつけ悪しきにつけその存在感を増している。それは、負の要因でいえばテロリズムの世界的な拡散と多様化であり、その一方で情報の増大により、異文化間の交流が促進され、多様な文化の接触や融和が実現されている。そして、現在両者に共通する主要な要素に宗教の存在がある。
つまり、現代の国際紛争の大きな要因の一つに宗教問題、特にイスラームに関わる問題、あるいは、自国の宗教と結びついた新しい国家民族主義の台頭などが、その象徴的な事例である。もちろん、のちにも論じるがイスラーム即ち危険な宗教などという誤った情報の修正にも、正しい情報理解が不可欠な要因である。
いずれにしても、グローバル社会において、宗教の存在は小さな問題どころか、例えば家庭のゴミ出しレベルの身近なことから、世界紛争のレベルまで直接か関り、かつ非常にリアリティーのある問題と絡み合っているゆえに、その正確な情報理解が、一層重要な存在となるのである。
本書は、現代社会の理解を宗教の側面から試みようとするものであるが、その際、宗教学の領域を超えて、より広い文明学、特に比較文明学の方法論を用いて、これを論じる。なぜならば、宗教は文明のあらゆる部分の基礎と深い関係を持ち、この宗教の理解抜きには、文明そのものの枠組も不完全となるのみならず、現代の国際社会の動向においても、宗教要因を抜きにしては正確な理解は困難であるからである。
さらに、この観点は、特にグローバル社会に生きる日本人に、不可欠なものであることを、本書では力説する。というのも、前述のように宗教の基礎的理解に欠ける、あるいは無関心な日本人が、複雑かつ深刻な宗教問題で混乱する地域に、無防備でビジネスあるいは観光で出かける機会が増加している昨今の状況を考えるとき、その必要性は現実レベルにおいて一層重要となる。いわば、自らの生命の危機管理の上からも、宗教に関する正しい知識を持つことは、火急のことである。いずれにしても、宗教情報の正しい処理とその習得は、現代流に言えば「自らの生命、財産を守る基本的なバリアーソフト」なのである。
ところが、高度情報化社会、特にAI時代の新しい形態として、情報発信の簡易化と無限拡散、つまり情報のインフレーションとでもいう現象が引き起こされた。
嘗て極限られた存在によって管理されていた情報は、今では誰でもいつでも手軽に指先一本で世界に向けて発信できることとなった。
それ故に情報のリアリティーは一層不明陵にとなり、その真偽の根拠は不明陵と形、その判断は理性的よりも感情的な物となりがちである。そこには、人間のショリオヌ力を遙かに超えた過度な情報量に戸惑ういわば自己保存本能からうまれる不安観や、攻撃性が強い共感を生む事になる。そこに情報化時代の大衆扇情主義者とも云える。この状況は、宗教理解にも共通することであり、他のこと以上に宗教は精神から、日常生活に深く関わるという意味で、正確な情報の取得は、重要となっている。が、日本ではその認識が不十分で、故に、物事の本質への思考が不十分である。所謂日本社会の危機管理の弱さは、ここにある。良く「想定外でした」等と、言ういいわけを良く耳にしますが、想定外ではなく、思慮外、でした、という堅強さがこの基場にはない。つまり、想定出来ないのであるから、責任はない、ということが、権外に垣間見える。一種の人間の奢りである。人間が想定できることなど少ない、という謙虚さがない。発想の貧困かまかり通るのである。一種の唯物論、悪しき部分の近代文明の思考法である。このてん、近代文明の葉承知では、一方でキリスト教世界への配慮があり、人間の傲慢さを神への信仰が押しとどめる。
近代文明の人間中心、もの中心の部分のみを受け継ぎ、肥大化させた日本の近代は、その意味で、西洋文明の申し子である我、キリスト教信仰というブレーキがない分、科学一辺倒である。
グローバル時代の文明と宗教理解
日本人の「宗教」意識の問題点
グローバル時代の宗教について言及する前に、実はこの問題を考える上で、日本特有の問題のあることを、先ず指摘しておかねばならない。それは現在の日本語における「宗教」問言葉が持つ、極めて日本的な特殊事情への理解と、そのいわば呪縛からの解放が不可欠であるという点である。
筆者は文明における宗教の存在を過大評価するつもりはない。しかし、宗教として認識される仏教やキリスト教、そしてイスラームの存在を考える時、以下で紹介するような宗教意識を無意識に持ちつつ、宗教はおろか、宗教を含む世界の文明を論じることに違和感を持つものである。つまり、特殊な宗教への先入観を持ったまま、さらにはその特殊性を意識せずに宗教を含む文明を公平に分析できるであろうか、という事である。
この様に述べると多くの方は、戸惑い或いは疑念を持たれるであろう。しかし、多くの世論調査から、日本人の宗教認識の特殊性、つまり宗教へのマイナスイメージは自明である。そして、日本人がこのような宗教への認識を持つに至ったかを明らかにするには、宗教そのものではなく、「宗教」と云う言葉に対して、あるいはその言葉によって表現される対象に対して、非常に特殊な意味が形成されてきたという事情から説明する必要がある。そして、この日本的「宗教」観形成過程にも、近代西洋文明が持つ宗教な要素、あるいは西欧近代文明とキリスト教との密接不可分構造的な関係を、図らずも現していると筆者は考える。
明治以降の日本は、宗教、あるいはレリジオンの翻訳語としての「宗教」を、政治的理由から意図的に矮小化してきた。そのために、日本人は宗教そのものへのマイナスイメージを、文化の基層レベルに確立することとなった。さらに言えば、この近代に於いて形成された宗教へのマイナス思考は、日レベル層意識レベルから、文化レベルにおいて共有されているにもかかわらず、その「宗教観」の特殊性に対して、気づくこと無く未だに日本的特殊な「宗教観」を深層意識の中に宿しているからである。しかし、この点を詳細に論じる紙幅はないので、簡単にその経緯を論じることとすれば、以下の通りとなる。
つまり、日本における近代の幕開けは、近代文明の極端な模倣とその急速な定着を目指した点にあるが、それは同時に明治政府が目指した政治的な統一とそれを正統化するための天皇親政という理想主義的政治体制の崩壊を招きかねない危険をはらむものであった。何故なら、近代型の国家を目指したはずの明治国家の理想は、神武創業への回帰という現在的に云えば「神道原理主義」的、所謂復古神道を基礎としたものであり、それは日本を極端に美化した排他的な民族精神を基本としていた。それ故に、蛮夷の宗教とのレッテルの下、キリスト教はおろか仏教さえ弾圧、禁教とさえしたのである。つまり、日本近代の幕開けとは、西洋文明における近代が持つその弁証法的な意味での近代ではなく、日本にとっての近代化とは、日本の古代をモデルとした神聖政治体制の復興、あるいは「創成」であった。そして、その正統性の担保をこの近代神道に求めたのである。そして、その過程で、復古神道から所謂国家(国体)神道と呼ばれる近代神道が形成されていった、と筆者は考えている。(7同)
この近代神道は、結果的に日本の近代化、つまり西欧近代文明化といういわば日本の国家存続に対する遠心力に対して、日本の民族的精神を涵養し、明治政府の正統性を保証するという向心力の形成、所謂ナショナリズムの形成に大いに寄与することとなった。
この様に近代神道は、日本の近代化、つまり日本という国、あるいは文明の近代西洋文明化に於いて、その枠組みを明確化し、またその維持のために大きな役割を果たしてきたのである。しかし、明治政府が近代神道への優遇政策を強化するという事は、その一方で西欧近代文明における眼目の一つともいえる信教の自由、つまり他の宗教への抑圧、弾圧を招くこととなった。
そこで、神道を所謂宗教とは見做さないとする「神道非宗教論」を政治的主導の下に形成することとなった。この時に「宗教」は、どのように位置づけられたのであろうか。日本の知的近代化に大きな足跡を残した井上哲次郎はこれを「(宗教とは)女子小人の依る所」、あるいは幼稚なる子供が、親に頼るような精神的未発達のものが頼るものと云う様な位置づけを行っている。これが筆者のいう「宗教(信者)半人前論」である。
この見解は、初等教育を通じて全国民に神道させ、一方で帝国大学の宗教学科においても、宗教学の宗教の定義を逆手に取る形で、神道非宗教論を形成、普及されたのである。その結果、日本人の深層意識において「宗教」と云う言葉の意味を、一種の必要悪、あるいは「水準以下の人間」の頼るものという、宗教へのマイナスイメージが形成されたのである。しかし、その一方で「宗教」ではない、神道への帰依は、国民(臣民)の道徳として、半ば強制的に普及させられる。つまり、西欧近代文明の核にキリスト教があるように、それをモデルとして、日本の近代化の核に近代神道を据えたのである。
近代科学思考の問題点
次に近代西洋文明における宗教の位置づけを、比較文明論に関する方向で検討しよう。周知のように、近代における知の体系は、デカルトを嚆矢とするいわゆる科学的合理主義を基礎として発展してきた。この科学的思考の基本は、個別化と数値化を通して対象を普遍的基準によって明確化できるという思想を基礎とするものである。その結果、科学的思考は自然科学の分野で大きな成果を上げてきた。
伊東先生のいう「科学革命」である。さらに伊東先生によればこの科学は、十九世紀になると専門分野化が顕著となり、それが制度化されて、科学技術の産業化なるものが起こり、発展して行くこととなった。その功績たるや絶対的ともいえるものであった。ここを「科学の英雄史観」(7)と伊東先生は命名しておられるが、そのために「科学は素晴らしい。科学者のやることはいいことなのだから、つべこべ言わずについていらっしゃい」(8)と云う様な、科学崇拝、あるいは疑似信仰的な科学絶対主義的状況が生まれ、やがて科学は暴走して行くこととなる。その結果の一つに、今日の環境破壊であることは、周知の事実である。
しかしこの科学的合理主義思考は、多様な要素が複雑に絡み合う人間社会や、分析的、個別的な視点からは把握し難い有機的な結合体、さらには複雑な対象に対しては、そのアプローチの有効性が未知数であった。にも拘らず、自然科学の目を見張る発展に触発され、人文科学分野でもこの発想は追認され、十九世紀以降の西洋におけるアカデミックの世界において強力に推し進められてきた。例えば、宗教学と訳されるも学問の原語はScience of Religionであるが、この場合の科学は、当然自然科学における科学と同じ意味ではない。しかし、科学と云う言葉を用いることで、自然科学の偉大な業績をこの領域に持ち込もうとしたのである。ここに近代西洋文明の知の在り方に、大きな偏りがあると筆者は考える。
というのもこの西欧近代文明における科学的思考により大きな成果が齎された為に、逆にこの科学的思考で扱い切れないような領域に関してのアプローチは除外されるか、極めて恣意的に扱われても、大きな問題や疑念を生じなかった。つまり、近代以降の人文・社会科学系のアカデミズムを支配してきた科学的合理性と呼ばれる知の方は、対象把握において個別化あるいは細分化を中心とするもの、つまり分析思考を基本とする知の営みであり、その方向に於いて大いに推奨されたのであるが、その逆の方向性に関しては、殆ど関心を払われなかったのである。これは仏教的に云えば、分別知であり、対象の限定的な把握、部分的な把握に中心があるものである。故に、この科学的な思考においては、個々の要素の連続性や有機的結合あるいは、全体性の視点が見失われ易い知の在り方である。伊東先生はこの科学的知のありかたについて「全体に関するヴィジョンや責任がない」(9)と表現しられる。
しかし、宗教や文明という言葉が指し示す対象は、その対極的存在、つまり諸要素の有機的結合体であり、総合的全体的な視点から対象を把握しようとするアプローチが不可欠である、と筆者は考える。
総合知的対象としての文明と宗教
そこで、文明と宗教のか関わりを考える上で、文明の定義が重要な要素となる。以下簡単に、文明の定義について宗教との関連を考慮しつつ検討しよう。「文明(civilisation)」と云う言葉は、近代的な知の概念から生み出された新しい言葉であり、それはラテン語のcivilis(都市の)から作られた。故に、文明が指し示す対象は、都市化によって生み出された文化体全体を指すこととなる。そのために文明は、政治・経済・所謂文化、さらには科学技術など一切を含む広域の概念である。それ故に文明の把握は、従来の分析的な知の方向性に加え、知の総合的な方向性による把握が重要となる。しかし、その一方で文明の概念は、未成熟であり不確定要素も多い。特に、宗教に関して西洋には忌まわしい過去がある。つまり、30年戦争のような悲惨な宗教・宗派戦争である。このカトリックとプロテスタント間の熾烈な体験が、近代西欧文明の形成に大きな役割を果たしたことは近代西欧文明の形成とその性格を巻会えるうえで重要である。つまり、西欧近代文明がこの宗教紛争を乗り越える形で形成された為に、この文明では、特に、宗教の存在について極力消極的に位置づけることで、その対立構造を回避しようとしてきたからである。
だから、近代西欧文明下の諸学において、宗教は文化の一部、あるいは個々人の内面の所業に止めるという認識を最大公約数的に共有数することで、この厄介な問題をいわば封印してきたのである。これがいわば、近代西欧文明、就中近代西欧キリスト教文明の宗教の位置づけであった。そして、それは近代合理主義と我々が呼ぶ学問における宗教の位置づけの大きな特徴であり、また欠点ともなる。
しかし、だからと云って宗教の存在を軽視し、あるいは過小評価したわけではない。寧ろ、宗派間の差異以前の基本的なキリスト教的要素は、確実にこれを尊重してきた、と云うよりそれを基本としてきたのである。ところが日本は前述の理由によって、寧ろこの点を逆手に取る形で、文明と宗教の関係を、断絶的に捉えるあるいは、極力矮小化してとらえる文化を形成し、現在に至っているのである。
いずれにしても近代西欧文明が、一種の普遍的文明として理解されていた時代は、文明と宗教の関係を消極的に捉えることの矛盾について、あまり意識されてこなかった。しかし、いまや近代西欧文明の限界性の顕在化に伴い、近代西欧文明への客観的な再評価が試みられるようになり、一層の宗教的側面が重視されつつある。その一端は、S.ハンチントン博士の文明論に現れている。博士はここで、最早近代西欧文明は、普遍的な文明であるとの認識は捨て、数ある文明の中の最有力な文明の一つとして、自己を相対化し、冷静にその優位性を維持発展させるための戦略を練らねばならない、と主張している。勿論、そこには、聖俗一元のイスラームの文明レベルの台頭や非西欧文明の中国やインドの台頭があることは言うまでもない。
このような近代西欧文明、特にその末裔であるアメリカ文明の限界を冷静に分析し、新しい世界秩序、さらには文明の在り方を論じた博士の存在は、シュペングラーの『西洋の没落』に通じる視点とインパクトがあるが、その背景には、大きな文明レベルの変動があることを明確意識している、と思われる。(10)
ここで特に、注目されるのは、ハンチントン博士が「宗教と国際政治を切り離したウエストファリア条約体制は西欧文明に特有の現象であるが、その体制も終わろうとしている」(11)として、彼はクリストファー・ドーソンの「偉大な宗教は偉大な文明を支える基盤である」(12)を引いて、文明と宗教の関係の再解釈を試みている点である。
勿論、ハンチントン博士を待つまでもなく、近代西欧文明における文明と宗教の関係を決定づけたともいえるウエストファリア条約に依って確立された宗教と社会の関係は、普遍的なものではなく、近代西欧文明下の特殊な認識であることは、さまざまに論じられてきた。
いずれにしてもアメリカの政治学を代表する学者であるハンチントン博士が、比較文明の視点から二十一世紀の国際政治を論じ、その予想の多くが的確であることが日々に立証されていることを考えると、比較文明学の有効性が一層広がったというべきである。
いずれにしても、ハンチントン博士は、現在の国際情勢が、十九世紀以来近代西欧文明が築き上げてきた構造が、根底から覆るほどの地殻変動的を迎えている、と云う認識のもと文明論の有効性を敏感に感じ取ったものであろう。
特に、現在の国際社会の変動は 宗教の存在を中心の一つとせずには解明できないものであり、その意味で文明と宗教の関係、つまり文明における宗教の位置をどのように認識するかは、大きな問題である。特に、前述の様な宗教への偏向著しい日本においてその見直しと、より現実に即した理解が不可欠である、と筆者は考える。
世俗主義文明と云う視点の限界
そこで、次に二十一世紀を考える上でいかに文明と宗教の関係を考えるかについて、簡単に検討したい。その際、まず近代西欧文明における宗教の隔離、矮小化、あるいは個人への内面化の傾向を表現する言葉として、先ず「世俗化」について検討した。既述の通り、近代西欧文明に於いては、所謂「世俗化」と呼ばれる「聖俗分離」の考えを基本としてきた。この世俗化とは、近代を生み出した西欧の特殊な宗教支配社会があったことは、よく知られていたが、しかし、その意味は案外認識されていないように思われる。つまり、世俗化の思想とは、即ち反カトリックの運動である宗教改革から生まれたものである故に善である。
その結果生まれたのが、前述の全てを分析的に、つまり個別的に独立させて理解する分析知、所謂科学的知の在り方である。しかし、そこには、普遍性や統合を目指すカトリック的な総合的思考とは、異なるどこまでも純粋性、個別性を志向するプロテスタント的な発想が基本にあると筆者は考えている。つまりプロテスタンによる革命とは、知的にはカトリック的な全体性、普遍知の放棄であったのである。少なくとも、現在の科学的知のありかた、つまり個別知(分別知)の重視は、カトリック的な普遍知、総合知の否定の結果として生まれた知の在り方であると言えよう。
というのも、プロテスタンの典型ともいえるイギリスのピューリタン(純粋なる人々、つまり清教徒)が、カトリックの総合性を非難する時の決まり文句に、「不純」あるいは「ルーズ(ふしだら)」が多用されたことは、よく知られた事実である。これは、信仰の形態以外に、カトリックの総合知への痛烈な批判であるが、その逆は何処までも個別性を追求するもので、排他的な知の体系となりやすい。
先にも触れた様に、それは自然科学の領域止まるものではない。具体的な事例を挙げれば、政治制度における議会制民主主義や、近代資本主義経済学の祖ともいえるアダムスミスの主張した分業論などにも個の尊重を基本とし、その総合はいわば神の領域として人知の及ぶ領域ではないと、その思考を放棄した。故に、科学的思考は基本的には現実の経験知を基本とする。これを経済学の領域で表現すれば、分業論で有名な「神の見えざる手」と云う言葉に象徴されることになる。この思想は、プロテスタント的な個の重視の発想から生まれたものと考える。つまり、被造物としての人間の有限性の故に、各個人は個人が直接的に関わる領域に専念すればよく、その総合化、つまり社会全体のことを考えるのは神の領域ということになる。そして、絶対の神が支配する世界は、個々人の努力の総和であるが、その総合化は神の領域であり、万能の神が万事うまく調和してくれるはずである、といプロテスタント特有の楽観主義を基本としている。
つまり、個々人は、この領域における役割のみを考えるべきであり、その総合性や全体性を考えるのは、神の領域であり、いたずれにそのような領域を論じることは控えるべきである、ということになる。従って、不完全な人間は、己の関わる個別の問題に集中すればよく、実際の産業のレベルでは、分業制が尊ばれ、学問であれば専門化が進み、結果として、各分野の孤立化、諸々の領域における専有化が押し進められることになった。
これが比較文明の泰斗伊東俊太郎博士の云う科学革命の時代の特徴である。この現象は各分野の効率化を一層促進するが、その一方で各要素の暴走という結果が生まれやすくなる。経済的には、過剰生産による恐慌の発生であり、科学技術における環境破壊や原子爆弾のような人類殺傷兵器開発などに繋がる。
現代社会が直面する深刻な諸問題の多くは、近代西欧文明において個の重視が生んだ結果である。つまり、個々人ありは個々の要素の独立性、専門性を強調する余り、全体性への思考が不足し、経済学でいう「合成の誤謬(筆者の言葉で、部分最適全体最悪)」という現象が生まれるからである。もちろん、近代文明の存在がすべて否定されるわけではない。要は、近代文明を支える思考は絶対ではない、ということである。故に、その不足部分を補い、補強することで、その決を補うことが重要であり、そのことに先ず気付くべきであるということである。そのうえで具体的な対応をとることが重要というわけである。そして、本書ではそれを宗教領域において検証し、その修正案提示のための基礎資料を提示しようということを目的としている。
そこで、以上の点を具体的なテーマで検討してみよう。つまり現代の国際社会が直面する問題の中で特に、本書の視点において重要と思われるイスラームの台頭という問題をどのように考えるか、ということである。以下においては、近代文明を一世紀以上リードしてきたアメリカ文明(やや不正確な用例であるが)、そのアメリカ文明の世界戦略に大きな影響力を持っていたS.ハンチントン( 1927~2008 )の所論を軸に検討してみよう。
イスラーム台頭に関する文明論からの視座
アメリカを代表する国際政治学者であったS.ハンチントン博士が1993年の『フォーレンアフェアーズ』に掲載した「文明の衝突」と題する論文が大きな反響を巻き起こしたことは、その内容の衝撃的なこともさることながら、ハーバード大学教授であり、なによりアメリカの国家戦略の決定に小さからぬ影響力を持つ**戦略研究所の所長を勤めるアメリカを代表する政治学者が、「文明」それも宗教が核となる(宗教文明)という考えを持ち出して、アメリカの来るべき世界戦略基礎に置いたことである。
そもそもハンチントン博士のような純粋な政治学者が宗教や文明の領域に踏み込むということはそれまでにはあまり見られないことであった。というのも1991年のソ連邦の崩壊によって決定的となった社会主義の敗北により、次なるアメリカを中心とする西側諸国に敵対するものは何か、というアメリカに特有の敵探しの発想が、その背後にあったとはいえ、政治学者が宗教の存在に注目するということは、一般的な政治学の常識から言えば異例であった。
そもそも宗教は本来政治と密接不可分であるものであるが、いわゆる冷戦構造さらには20世紀初頭以来の社会体制の相違をめぐる熾烈な争いの中で、政治や政治学において宗教の占める割合は低下する一方であった。また学問的にも近代政治学の中では、政教分離を基礎とする近代的な思考の中で、思考の背後に追いやられ、またその存在評価も無関心化、消極的評価がなされ、その結果宗教は歴史の舞台裏へと追いやられた感があった。
しかし、冷戦構造の崩壊は、古くて新しい対立構造である宗教の存在を再び浮かび上がらせた。そして、その主役に踊り出たのが、オスマン帝国の衰退と共に深い眠りについていたイスラーム教であった。
まさに強大なイスラームという地殻変動が、再び動き出したという認識であった。もっとも、イスラームの台頭が、世界各地の紛争の原因の多くを作っているというハンチントン博士の主張は、その評判はあまり芳しいものではなかった。しかし、その背景にヨーロッパ文明圏(その核は当然キリスト教にある)においては、根強い賛同者があったと聞く。もちろん、ハンチントン博士の主張は実際の紛争地域(彼はこれをフォルトラインと呼んでいる)が、イスラームと非イスラームとの境界線にほぼ一致しているという現状の説明をしたまでであって、イスラームが危険な宗教であるというようなことまでは言ってはいない。
もっとも、ヨーロッパ文明には、無意識下にイスラームへの偏見、つまり過去の歴史へのトラウマ(コンプレックス)から来る拭い去れないイスラーム教への敵意や不信感があることは、Eサイードの『オリエンタリズム』によって見事に立証されてきた。従って、ハンチントン博士がイスラムボーダー上に、事実として紛争が多発していると指摘すれば、それは自動的にイスラーム教への敵意や不信感が、自動的にヨーロッパ文明圏の人々の意識として共有されるということとなる。その意味で、きわめて危険な指摘であった。もちろん、それはハンチントン博士の真意ではなかったが。
というのも、彼の専門移一貫して「社会変動の理論」であり、冷戦後の社会変動の動因が宗教にある、という主張はきわめて妥当なものであった。1997年にはハンチントン博士は『諸文明の衝突と新しい世界秩序の構築』という書物を書き、一層精緻に、彼の理論を構築した。
しかし、歴史は彼の指摘、つまり冷戦構造後の世界においてアメリカの国益に抗する存在は、イスラーム文明(正確には、儒教文明との連合となっているが)であるという指摘が、あの9.11事件によって現実のものとなった。予言好きなキリスト教の人々は、彼の予言が的中したことに驚き、そして改めてイスラームへの恐怖心と敵愾心を強くした。
もちろん、ハンチントン博士が、『引き裂かれた文明』という9.11事件の直後に書かれた書物で指摘しているように、彼の真意は、イスラームとの対立を煽るためでも、またイスラームを危険視するためのものでもなかったが、9.11事件は、世界中に事実の背景を分析するというような冷静さを許さない程に衝撃的であり、かつ悲惨であった。
いわば、この日を境に国際社会に大きな地殻変動が起こったのであった。そして、その行き着くところがどこなのか?
ハンチントンが踏みだした第一歩
現在中東で起こっている悲惨な紛争、過酷な社会状況について検討するには、宗教、政治、経済の要素を個別に検討するだけでは、十分な分析はできないであろう。なぜなら、この問題の原因が、まず石油・天然ガスといった地下資源の配分問題という政治・経済問題であること。これに加え、イスラーム文明と西洋文明など非イスラーム文明との対立という文化や宗教問題の軋轢が、今回の中東問題には深く関わっているのであり、これ等を総合的に考えなければならない点に、中東紛争の複雑さがある。
従来の研究では、この問題は政治学、経済学、歴史学、宗教学など、別個に研究されることが一般的であった。特に、社会科学の雄である政治学の領域ではこの傾向が強かった。なぜなら、宗教は彼らの言う合理性、論理性というよう社会科学的思考からは遠く、研究の対象外が、少なくとも消極的な研究領域でしかなかった。
その意味で、S.ハンチントンの論文(1993年)そして、この論文を更に拡充した『諸文明の衝突と世界秩序の再構築』(1998年翻訳も)が提示した問題意識とそこから導かれた結論は衝撃的であった。なぜなら、アメリカを代表する政治学者であったハンチントンが、従来の政治学(Science of policy, or Political Science)の常識を破り、積極的に宗教の視点を政治学に取り入れたからである。いわばハンチントンは、近代政治学の前提を破り、新たな政治学の領域に踏み込んだのである。そのために、彼の論文や著書は喧々諤々の議論を巻き起こし、その評価は大きく分かれた。しかし、あれから20年の歳月を経た今、彼の予想の多くは現実のものとなった。つまり、旧来の政治学の視点に宗教の要素を加えることで、より正確な現状分析や将来予測ができるという少佐になったのである。
そこで、以下において、彼の言説を整理しつつ、現代問題にアプローチしてみよう。
宗教の世紀21世紀世界理解
ハンチントンは、冷戦終結後の社会の統合原理は、「文化的アイデンティティの象徴が意味をもってくる」(20p)と云っている。これについて、「既存の価値観を失った人が、ふり価値観を再構築し、それのシンボルとして旗などの象徴を殊更に誇示して、この再構築された、つまり古い象徴を、現状に合わせて加工して、振りかざし私事行為を行う事で、自己の正統化を図るとともに、嘗ての関係性呼び起こす。その時特に、嘗ての敵対関係を強調することで、内なる結束の、また自らの正統化に利用する」(同)という事であると、説明している。
この視点に立ちハンチントンは「本書の中心的なテーマを一言でいうと、文化と文化的なアイデンティティ、すなわち最も包括的なレベルの文明のアイデンティティが、冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンをかたちつくっている」(21)と論じている。
ハンチントンの特徴は、文化をさらに包括的な視点から文明と呼び、この文明の基本に宗教と位置付けるという思想を持つことである。つまり、「文明と文化は、いずれも人々の生活様式全般を言い、文明は文化を拡大したものである。」(53)そして、「文明を定義するあらゆる客観的な要素の中で最も重要なものは通常、アテナイ人が強調したように、宗教である。」(54)という認識である。この指摘は、日本人には理解しにくいかもしれないが、それは、それは前述の通りの近代日本社会の宗教への偏見、つまり宗教を信じる者は、精神的未熟者、劣ったものの頼るもの、という教育による、ということはすでに述べたとおりである。
ハンチントンの新しい主張は「冷戦後の世界では、さまざまな民族のあいだの最も重要な違いは、イデオロギーや政治、経済ではなくなった。文化がちがうのだ。・・・・・中略、自分たちにとって最も重要な意味をもつものをたよりにする。人々は先祖や宗教、原語、歴史、価値観、習慣、制度などに関連して自分たちを定義づける。たとえば、部族や人種グループ、宗教的な共同社会、国家、そして最も広いレベルでは文明というように、文化的なグループと一体化するのだ。」(23)そして、ハンチントンは、この文明を9つに分類する。つまり、西欧、ラテン・アメリカ、アフリカ、イスラーム、中国、ヒンドゥー、東方正教会、仏教、日本の各文明である。(地図、Ⅰ-3より)この分類は、ヘンリー・キッシンジャー氏の「6大国―ヨーロッパ、中国、ロシア、そしておそらくインド」を参考に作られたもののようであるが、このハンチントンの文明の設定は、宗教と密接に結びついている。つまり上記の分類はまず、キリスト教、イスラーム教、仏教という普遍宗教と、ヒンドゥー教、儒教・道教、そして日本的な宗教形態である。そして、キリスト教の形態に着目して、西欧、ラテン・アメリカ、東方正教会の3つの文明に分類しているのである。*日本文明を独立させるかは、彼も迷ったようであるが、最終的には組み入れた。したがって、最終的な文明の種類は9つとなっている。
もちろん、彼のこの分類もまた文明論に問題点はある。しかし、当面の世界情勢の分析には、非常に有効性の高いものと筆者は考える。
ハンチントンによれば「冷戦後の世界は七つあるいは八つ(後には九つ)」の主要文明の世界である。文化の共通点と相違点から、国家の利益や敵対関係あるいは協力関係がかたちづくられる。…中略。地域紛争のなかでも広範な戦争にエスカレートする恐れが強いのは、文明を異にするグループや国家の間の紛争である。政治や経済が発展して行くと時の主なパターンは、文明によってさまざまである。国際問題の重点は文明のちがいによってかわってくる。長期にわたって支配的だった西欧文明から、非西洋文明へと、力は移行しつつある。国際政治は多極化し、かつ多文明化したのである。」(32p)という事である。
これが一九九八年に出版されたハンチントン氏の一種の国際社会の未来像、ある意味で予言である。そして、その予言めいた提言は、2018年現在、的を射たものとなっている。特に、中東問題の背景を考える時には、この文明の衝突と云う概念は、重要であろう。
また先にも論じた通り、ハンチントンの言説の有効性を考える場合、予見性の評価もさることながら、アメリカを代表する政治学者、つまり、学問の中でもと伝統のある政治学の泰斗であるハンチントンが、近代以来のヨーロッパの学問の王道、つまり政治学に宗教を積極的に取り入れ、国際政治の新しい分析方法を提唱したことは、非常に重要であると関あげている、しかも、提唱したその方法論はかなり有効であることは、現在の世界各地における紛争の状態を見れば明らかである。ただ、彼の提言が生かされなかった故に、彼の予言が現実のものとなった、と考えると何とも忸怩たるものがある。
宗教文明と云う新しい世界観
さきにも指摘したように、ハンチントン氏の思想は近代以降の科学的な社会分析、つまり社会を各要素に分割し、それぞれの領域を深く掘り下げて行きことが学問であり、この方法こそ有益である、という方法とは大きく異なる方向性を持つ。つまり、近代科学が静的で分析的であるとすれば、彼の主張は総合的であり、且つ動的である。また、彼は、従来文化の一部として、また個人の内面の問題として矮小化されて理解されてきた宗教の存在を、まさに文明形成の根本、と位置付けたのである。それは近代以降の主流であった政教分離、それを支える世俗主義的な発想を超えて、宗教の復権存在の社会における役割の再評価であり、再構築であった。これらを図で示すとこのようになる、思われる。
つまり、従来の思考では、宗教は文化の一部と位置付けられ、経済や政治等との関係性については、余り重視されてこなかった。その背後には、キリスト教の支配に散々苦しめられた中世ヨーロッパの教訓が、近代西欧文明形成の大きな原動力のなったという特殊事情、そう西欧社会の特殊事情があった。そして、この特殊性によって政教分離や世俗主義が一般に人々にも受け入れられたのである。
そして、この政教分離[あるいはさらに宗教的には聖俗分離]の文明形態は、産業革命と云う強力な生産力に支えられた経済力、さらには軍事力によって世界中に広がった。
ハンチントンが「西欧が生き残れるかどうかは、自分たちの西欧的アイデンティティを再確認しているアメリカ人や西欧人が、自分達の文明は得意であり、普遍的なものではないという事を認め、非西欧社会からの挑戦に備え、結束して、自らの文明の再研をして維持して行けるかにかかっている」(22p)と云っているのは、いささか悲観的過ぎるにしても、正しい認識であろう。この点のみを強調すると、欧米文明の自閉的な、自己完結を目指したいわば、利己的な主張の様に思われるが、ハンチントンは、各文明特に従来絶対的な力を持って普遍主義を唱えていた西欧発の近代文明の限界を謙虚に意識することで、つまり従来の西欧文明における自己認識の在りがちな自らを絶対するようなこともなく、他の存在も自らと同等に認識、少なくとも自らを普遍的であると云う様な思い上がりは控えて、他の文明と協調して行くことが必要だと説いているのである。故に「異文化間の世界戦争を避けられるかどうかは、世界の指導者が世界政治の多文明性を理解し、力を合わせてそれを維持しようと努力するかどうかにかかっている」(22p)と断言している点は、傾聴に値する指摘である。
ハンチントンの考えを紛争地域と文明図の上に合わせてみると、彼の主張の意図が理解できる。
二十一世紀理解のための総合的文明の理解モデル
以上を整理して、21世紀の国際社会理解拝いうに及ばず、グローバル時代において、異様なく国際社会と結びつけられている我々の身の安全確保のために不可欠な、宗教と文明の構造の再構築について考察しよう。
筆者の立場は既に明示したように、現在の一般的理解における文明における宗教の役割の見直しを通じて、宗教の復活の世紀である二十一世紀の国際社会理解をより正確に把握し、そのような世界で生きる我々個人の身の安全をより確かなものにすることを目指すものである。
図1参照
既に明らかにしたように「宗教は文明を想定する中心的な特徴であり、クリスファー・ドーソンがいう『偉大な宗教は偉大な文明を支える基盤である』」(13)とS.ハンチントンの言葉を待つまでもなく、宗教は文明の基礎であり、特に21世紀文明は、宗教を基本として再構築されつつあるのである。
それは、近代西欧文明が築きあげてきた文明の優位性さえをも切り崩す力を秘めている。まさに地この現象は殻変動にも譬えられるものである。そしてそれは、イスラーム文明、ヒンドゥー文明、あるいは儒教(道教)文明とハンチントンが指摘した存在群である。これらの文明は、まさに古代以来の長期に亘り文明の中心として機能してきた文明群であり、しかも、これ等の文明の中心には、宗教が核をなしているのである。
この中で特に、イスラームの台頭と云う現象は、筆者が示した比較文明モデルによって国際世界の秩序を論じる時、極めて明確になると筆者は考える。図参照
つまり、従来のモデルが宗教を文化の一部として矮小化して位置づけるのに対して、筆者のモデルは、宗教がすべての領域にその割合の軽重はあるものの関連しており、宗教の示す価値観、それぞれの領域は強く結びついている、という事を意識できるように構成されている。
このモデルは、従来の文明観ではとらえ切れなかった、イスラームに特に顕著な政教一元(タウヒード)的な社会を理解することに於いて、便利なモデルであるが、しかし他の文明においてもイスラーム程ではないにしても、宗教の存在が文明形成に深く結びついている点を意識化できるという利点を持っていると、筆者は考えている。
このモデルによって現在の宗教紛争などを考えると、世俗ベルの問題が、最終的には宗教紛争に発展する、という現実を無理なく説明いできる。つまり、経済や政治的な問題が、宗教紛争へとスライドして行くことが簡単に起こることを理解できる。
しかも、従来の様に経済、政治、文化が、独立的に存在するのではなく縦軸としての宗教の存在を通じて、それらの要素が、相互に有機的に連なることで、一種の総合化の視点も明確になる。それ故に、個別知を維持しつつ、総合知の視点ももち得るという意味で、文明における宗教の重要性を表現する本モデルの意義は、小さくないと思われる。そして、そのように宗教の存在の重要性が理解されれば、宗教に関する知識の重要性が意識されることとなり、個人から企業、さらには国家に至るまで宗教が絡むリスクの回避、軽減に大きく寄与できるのである。特に、宗教理解が乏しい日本人には、重要なことである。
執筆:保坂俊司