当たり前にある「勉強」
皆さん、こんにちは。
前回のブログから2ヶ月半近く間が空いてしまいましたが、また自分なりに思ったことであったり感じたこと、考えたことなどをできる限り言語化していきたいと思います。
さて、このブログが空いた2ヶ月半間で、私の中で一つ、大きなイベントがありました。
それは…
『教育実習』
です!
教育実習は9月に行われて、約3週間にわたって母校の高校にお世話になりました。
その3週間は、とても刺激的で、普段の生活とはかけ離れていたものでした。(当然と言えば当然ですが)
今までの人生の中で、「学校」という環境はその恩恵を受ける側の立場、言わば学生の立場にしかいなかった私ですが、
この教育実習の中で、恩恵を与える側の立場である教員の立場に少しでも触れて、実践できたことは本当に自分の中で大きな経験となりました。
そこで、今回のブログは教育実習を通して学んだことであったり感じたことをまとめていきたいと思います。
教育実習の経験を書く前に、私がもともと持っている教育に対する価値観について少し触れておきたいのですが、今回のブログのテーマとは若干逸れてしまうので、ここでは割愛させていただきます。
詳しくは、前々回の私のブログ、『教育の「本質」』を読んで頂ければと思います。
教育実習の3週間の中で、私が生徒の前で授業をしたのは11回でした。(授業1時間は50分です)
さらに、授業を担当するクラスが2年生の2クラスで、授業内容は2クラスとも同じなので、授業案作成は結果5回分の授業を作成することになりました。
これが多いのか少ないのかは人によって様々だと思いますが、私にとってはそこまで多い方ではないと思っています。
そこまで多くはない授業回数で、かつ実際に授業案は5回の作成だったので、身体的にはそこまで大変なものではなかったと、振り返って思います。
ただ、授業回数が重なるにつれて、疑問であったり葛藤が生まれてきました。
それらに対して自分と闘いながら授業を作っていくのは、とても苦労しました。
私の授業のスタンスとしては、「生徒に正しい知識をわかりやすく、丁寧に教える」というものを掲げていました。
教員の役割として、生徒たちがまだ知らない知識を、自分の頭の中でしっかりと整理し、それを出来る限り全員にわかりやすく言語化することが大前提だと考えているので、授業の中でその部分を重視して臨んでいました。
私を指導してくださった教員の方には、私が重視した部分については褒めて頂くこともあったのですが、
その教員の方が重視しているであろうことは、また別の所にありました。(指導教員の方は、私が重視していた「正しい知識をわかりやすく丁寧に伝える」ということも重視していました)
それは、「生徒たちに発問して、生徒を授業に引き込む」ということでした。
私は、それをやることは、子どもたちにとって本当に必要なことであるのかどうか、疑問に思いました。
私の中で、生徒たちに発問して授業に引き込むということは、「生徒たちを半ば強制的に授業を受けさせる」というニュアンスが強いものだと感じられました。
授業というものは、生徒たちが自発的に取り組むべきものであって、
生徒自身がその授業・勉強に意味を見出して「自分ゴト化」する必要性があると考えています。
生徒に発問して、生徒を授業に引き込むとなると、生徒が「やらされている」と思ってしまい、勉強に対して自分なりの意味づけを施すきっかけを失わせてしまうのではないかと考えていました。
だからこそ、授業・勉強を自発的・主体的に取り組ませるために、そして授業・勉強に対して自ら意味づけをして「自分ゴト化」させるためには、授業以外の時間で生徒に、「勉強は何のためにするのか」という問いを通じて対話する必要があると考えていました。
そういったことも意識して、実習に取り組んでいました。
なので、授業内に生徒たちに発問して、生徒を授業に引き込むという作業を組み込まなければいけないことに対して、最初はすごくもどかしいものを感じました。
ただ、授業内外を通して生徒たちの様子を見ている中で、徐々にある考えが浮かんできました。
それは、生徒たちが「勉強」というものに対して自ら考えるきっかけすらないのではないかと思ったのです。
教育というものが当たり前にある環境に生まれ育ち、学力も都立の中では中の上辺りにある高校に入ってきた生徒たち、
その中でより良い大学を目指すのが一般的な世界、さらに毎日の様々な教科の課題や部活動などで、生徒の活動量は非常に多いと感じました。
ただでさえ、やるべきことが非常に多い中で、生徒たちがそれらのことをこなした上で、さらに、もはや当たり前に存在している「勉強」を何のためにやるのかといった「自分ゴト化」するための深掘りなど、授業以外の時間で生徒たちと対話するだけではほぼ不可能ではないのかと考えました。
では、その上で生徒たちが「勉強は何のためにするのか」ということを自分自身で考えさせるためにはどうすればいいのか、
その考えさせるきっかけになるのが、私は「授業」なのだと考えました。
教員側が、授業の中で正しい知識をわかりやすく丁寧に教えるのは大前提で、
「勉強は面白くて楽しい、もっと深い内容まで知りたい」と生徒たちに思わせるような授業を展開して、生徒を授業に引き込み、授業に熱量を傾けられるようになれば、
生徒が勉強を「自分ゴト化」するきっかけが生まれてくるのではないかと考えました。
少し発想が飛躍しているかもしれませんが、
「授業」を通じて、生徒が自分自身で考えるきっかけが生まれてくる可能性がある、そのさらなる後押しとして、授業以外の場面で生徒たちと対話がある、
と現時点では考えとしてまとまりました。
なので、授業に生徒たちを引き込むためには、発問が必要ですし、授業内の明るい雰囲気作りや、他の授業を面白く、楽しく、そして生徒が自ら進んで取り組むような要素が必要になってくると、自分の中で納得しました。
3週間という実習期間では、このように自分の中で考えが落ち着いただけで、この考え方をもとに授業を実行していくことはほとんどできませんでした。
ただ、実際に生徒の前で授業を行ったこと、それ以外の場面で生徒と多くの時間関わったことによって、
実習前と実習後では、教育に対する考え方に変化があったことは自分の中ですごく大きなことでした。
実践するかしないか、その前後の違いに気づけたことだけでも、今回の教育実習は本当に有意義なものになったと自分の中で感じることができました。
来年の4月から私は社会人になりますが、教員にはなりません。
実習前は、教員免許は取得しても教員になることは絶対ないと思っていたのですが、今は教員になって教育に携わるのもありかなと思っています。笑
ただ、教員になるならないに関わらず、いずれかは教育に携わりたいと考えています。(どのような分野で、どの年代を対象にしていくのかはまだ明確に決めていませんが)
この大学4年の教育実習の経験を本格的に活かせる日が来るまで、そして、将来自分が納得する形で教育に携われるように、これからも日々学び、進み続けていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
このブログを読んでくださった方、ぜひ感想や意見をお聞かせください!
引き続きどうかよろしくお願いします。
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