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ただの思い出話

特にオチもないが、今日突然新幹線に中でそういえば…と思い出したことがある。

確か私が高校1年、もしくは2年の時だったと思う。たまたま高校の文化祭で日能研の先生と再会を果たしたことがある、という思い出だ。
私は小学5年制の春から日能研練馬校に通っていた。当時は国語、算数、理科、社会の4科目授業があったわけだが、私はその中でダントツに理科が好きだったし、成績も悪くなかった。
理科という科目の内容が嫌いではなかったことは確かだが、ぶっちゃけていうと理科の先生が大好きだった。「のりか先生」と生徒から呼ばれていた先生は、内容がスッと頭に入るような授業をしてくれていた。関連することを一緒に話題に出して、覚えやすく工夫していてくれたもだと思う。
当時のりか先生は30代後半くらいに見えたが、いい意味であまり大人だと感じることはなかった。
1番私にとって思い出深いのは、のりか先生はクラスで3位以内だった生徒を授業の冒頭で発表することだ。その時先生は「〇〇様様!」と大袈裟に褒め称えてくれた。私は先生が大好きだったし、「ホルン様様!」と呼ばれたいがために理科の勉強も頑張っていたと覚えている。

当時の日能研練馬校はSと呼ばれる特進クラス以外とN1から N3までの普通クラス、合わせて4クラスがあった。私は確か上から2番目のクラスにいたと記憶しているが、正直クラス内で成績はパッとしない方だった。
それでも理科の点数はぶっちぎりで良く、毎週のりか先生に名前を呼んでもらっていたと思う。

のりか先生がなぜ母校の文化祭に来たのかわからないが、もしかしたら受験情報等の聞き込みだったのかもしれない。
私はたまたま階段でのりか先生とすれ違った。一拍おいて、のりか先生だと気がついた私が大声で「のりか先生!」と呼ぶと、先生も立ち止まってくれた。私が階段の踊り場、先生が上の階にいたため、君の名はの最後のシーンさながらだったと覚えている。
「先生、私です、ホルンです」と名乗った私は、先生が「おお!ホルンか!元気にしていたか?当時は良く勉強してくれたな〜」と声をかけてもらうことを期待していた。しかし実際先生は「はあ、」としか言わなかった。少し気まずく感じた私は「お久しぶりです」ぐらいしか言えず、そのまま先生と別れてしまった。

今でももっと色々話せばよかった、と思うことがあるが、当時はのりか先生に忘れられていることが本当にショックだったのだろう。先生にとっては毎年いる生徒の1人たっだことを最近ようやく理解できたと思う。
先生にとって私は特別だと思っていたが、そう生徒に思わせられる先生は本当にすごかったのだ。今でも時々のりか先生のことを思い出す。
私の人生の中で1番記憶深い先生なのだろう。

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