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生贄探し
2022.2.8
この本は、FBで知ったこの文章に感銘を受けたので読んでみたんです。
「聾者は障害者か」(「全国高校生読書体験記コンクール」)https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2022/01/story/story_220125/
作文は、聾者は障害者ではないと言います。障害者なんていなくて、少数民族なだけだと。そう思ったきっかけとなったのが、この本「生贄探し」です。
なぜ人は人の幸せを見ると嫉妬するのか?人の不幸を見るとうれしいのか?異質なものを見ると攻撃するのか?
世界中で起きているヘイトクライムや身近ないじめを持ち出すまでもなく、そういう誰もが持っている悪しき感情、社会を分断する心理のわけを中野信子さんという脳科学者が説明してくれます。
人の幸せを見ると、自分の取り分を取られたように感じるから。誰かと比べることでしか自分の幸せを感じられないような脳になっているから。
「脳はそういう風に発達してきた。知性で抑えるしかない。」身もふたもないような結論ですが、そういうことだそうです。
しかし、まだまだ興味深いことが書かれています。
「正義中毒」という言葉。魔女狩りを引いて説明してくれています。
人は自分が正しいと思い込むことで、承認欲求を満たす。それが確証バイアス(自分の知りたい情報しか知ろうとしない)と合わさって恐ろしいことになる。トランプしかり、コロナいじめしかり。
そんなことが起きないようにするにはどうしたらよいのでしょうか?
人間の脳は、誰かと近くいたいと思う反面、近すぎると傷つけあってしまうという特性があります。それはなぜかというと、複雑な環境に適応して生き延びることができるよう、相反する思考や価値基準を同時に持つように発達してきた結果だそうです。(「二重思考」!)
ヤマザキマリさんが言います。「もっと想像力を」「相手の立場に立って」「地球大でものを見れば、人間も昆虫も同じなのに」
フェデリーコ2世という人(神聖ローマ皇帝)は、他国の文化を心からリスペクトできる人だったらしい。そのため、十字軍の時代、先頭に立ってエルサレムに行き、敵の文化(イスラム文化)について尊敬を持って語り合い、相手からも認められ、一滴の血も流さずに和平条約を結んでしまった。
彼は、「自分をわかってほしい」という気持ちより、「相手をわかりたい」という気持ちで動いた。それが人の気持ちを動かしたのだろうと。
どうしてフェデリーコ2世にはそんなことができたのか。
それは、運命に翻弄されるような生育歴の中で、さまざまな不条理を経験したことが彼を成長させたのだろうし、そのときにアートや文化、演劇や遊び、といったものが彼の精神を育んだのだろうと。
見習いたいですね。自分をわかってもらうことより相手をわかろうとすること。
最後にヤマザキさんは、日本社会の同質性と排他性についてこう結んでいる。
「私にはそうした他者の判断による存在価値の審判と多様性を許さぬ社会に、ある種の凶暴性が潜んでいるように思えてなりません。」