かつてあった東京競馬場の右回りコース
最近、大井競馬場(東京都品川区)が左回りのレースを始め、両周りで競馬を行うことが話題となっていますが、過去に目を向けると、東京競馬場(東京都府中市)も両周りの時代がありました。
東京優駿(日本ダービー)やジャパンカップなどのビッグレースが多数行われ、日本を代表する競馬場である東京競馬場。JRAの公式サイトによれば、左回りコースで、芝コースは1周2,083.1m(Aコース)、直線は525.9m、幅員は最大41mと大きな競馬場です。他にもダート、障害の各コースもあり、それぞれの舞台で白熱した戦いが行われています。
右回りのレースがあった頃の資料を見てみます。
出典:大津實 「競馬場における芝馬場の芝について」『芝草研究』3 巻 2 号、日本芝草学会、1974 年 。
左回りの芝2,300m、ダート2,100mのスタート付近に「右回りゴール線」を示す目印があることから、当時の東京競馬場はゴール地点が2箇所存在していたことが分かります。仮にゴール線が同じならば、右回りだとコーナーでラストスパートをかける必要があるだけでなく、直線もほとんどないため、人馬ともにリスキーなレース展開になると想像できます。また、レースの審判、裁決の側面から見ても、スタンドから離れた位置にゴール線は設定できないと考えられるため、影響のない左回りのゴール線から200mほど離れた地点が右回りのゴール地点となったと言えます。
また、この図からは芝、ダートの両方で右回りのレースが行われていたことも読み取れます。設定されていた距離は、芝が1,000m、1,100m、1,200m、ダートが1,000m、1,100m。つまり、短距離レースの必要性の観点から右回りが生まれたことが分かります。
今回は、当時の資料から、東京競馬場の右回りコースについてお話ししました。現地に足を運ぶことができたら、スタートやゴール地点だった場所を見て想像すると、競馬の魅力も深まるかもしれません。