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僕の子ども絵日記 ~ ながさきの四季
2011年3月11日、何の因果か、東日本大震災の起こった日に、長崎新聞社より発刊されたもので、約3年間月1回、同新聞の生活・文化欄に掲載されたものです。
これに連載時にはなかった「軍艦島タイムスリップ編」4編を収録しています。
内容は、長崎県全郡・市・町を舞台に、フィクションの設定の子どもと大人たちのやりとりと、そのテーマに関する自身の思い出を綴ったエッセー。イラスト。舞台となった写真とイラスト・マップが1セットになっています。(自伝ではありません)
下のようなイラストとエッセイとマップが、計33編 続きます。
あまり褒められたこともないわたしですが、年老いた父は、この書だけは褒めてくれました。どうぞよろしくお願いいたします。
20 『 いつまで もってくれるの? 』
(東彼杵郡・川棚町・石木郷)
『 いつもはいじわるばっかするのに、私がころんだ時、先生が「バンソーコーばはる間、もっとってやれ」って言ってから、ずっと私のリュックをもってくれてる。
私が「ありがとう」と受けとろうとしても、
「ヨカ、ヨカ。オマエは給食ばいつでん残すけん、ヒョロヒョロしてバランスのとれんと」なんて、チンプンカンプンなことゆって・・・。
でも、きょうはなんか、いつも授業中、ハナくじってテレ~ってしとるアキラくんとはちがうね。
去年までは私の方が背、高かったのに、いつんまにかぬかされとるし・・・。』
◇
先生の話はろくすっぽ聞いてなくて、授業中ハナくじってテレ~っとした子どもだった私でも、ほのかにロマンスの灯がともることもあった。
しかし、そんなバカチンな私に恋の花なぞ開くはずもない。
低学年のころは、下校とちゅうに好きな子を見つけると、友だちとそっと近づいていって、パッとスカートをめくってにげて来た。
その子の「なんね、もう~」という笑顔が見れただけでハッピーだった。
その後も好きな子ととなりの席になろうものなら大変だった。
心ぞうがバクハツしそうなのだが、顔にはけっして出さない。
忘れた時に見せてくれた教科書は、私の手あかだらけのまっくろとは大ちがい。
かしてくれた消しゴムはバラのかおりがした。
私がこぼした牛乳をぞうきんでふいてくれた時は「生きててヨカッタ!」と思った。
そんな感じで青年期まできた。
高校の時は「あたし、ごめんばってん、ジャッキーチェンば、すいとぅと」とフラれた。
「恋」と「変」はよく似た字である・・・。
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