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アンネ・フランクの父、オットー・フランクと軍馬たちのエピソード
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私の住む長崎も、大陸に近いという理由から多くの徴用された馬たちが港から船に載せられて海を渡って行った。
その多くは元の飼い主の元には戻れなかったと思う。
「やさしい木曽馬」という本では、徴用され中国大陸に渡っていた木曽馬が、兵士となって出征していた元の飼い主に偶然あった時、いたく喜んだというエピソードが紹介されている。
オットー・フランク氏の、この行動は、飼い主にとって、どれほどうれしいことだったかは、容易に想像がつく。
まず馬を正当な所有者に返す
オットー・フランクは後々になつても第一次大戦での自分の体験について多くを語りませんでした。
砲兵連隊に所属していたオットーは、1917年11月、北フランスのカンブレの近くで史上初の大規模戦車戦に参加。その1年後に停戦となりました。
戦地での経験はオットーを憔悴させました。
母親への手紙では「気持ちを整理するのは時間しかない」と書いていま
す。
一方妹のヘレーネのことはいつも気にかけ、父親のような適切なアドバイスを与える包容力に満ちた手紙を書き送つていました。
戦後、当時の上官について次のように語つています。
「(彼は)将校や下士官の食堂に給仕人を置くことを禁じた民主的な人間だつた。私自身が中尉だつた時も下士官に同じように接しようとした。」軍の中では特に反ユダヤ感情に遭遇したことはなかつたようです。
第一次大戦終戦後、兄の回ベルトと弟のヘルベルトはすぐに帰還しましたが、オットーはなかなか帰らず、一家は不安な毎日を過ごしていました。
2カ月経つてようやく帰宅した息子から遅くなつた理由を聞いて両親は仰天しました。彼の部隊が収容した馬をその正当な所有者にまず返していたというのです。
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![江島 達也/対州屋](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/102599053/profile_360ea0f26f55760e52d49a90537ff5e7.jpg?width=600&crop=1:1,smart)