長崎26聖人記念像を創った舟越 保武の最後の傑作となってしまった「聖ヴェロニカ」
私が実際に出会った「彫刻」の中で、群を抜いて、すばらしいと思うのが、「長崎26聖人記念像」を制作された舟越 保武(ふなこし やすたけ)さんの「聖ヴェロニカ」。
粘土を盛りつけていく塑像とは、あきらかに違う彫刻の研ぎ澄まされた感覚が作品から放たれていて、その洗練された美しさは、息を呑むものがありました。(2008年、長崎県立美術館にて)
また彫られた石は、「諫早石(いさはやいし)」という長崎産のもの・・ということも、深く感じ入るものがあります。
舟越さん74歳の作です。
下は、長崎・西坂の丘にある「長崎26聖人記念像」。
舟越さんが4年半の歳月をかけて、昭和37年に完成させました。
26聖人の像は、遠目で見ると、横長の十字架のデザインとなっています。
24体は手を合わせ、天に視線を向けていますが、2体(パウロ三木とペドロ・パプチスタ)だけは手を広げ、視線を落としています。
この2体は、舟越さんの説明によると、「下から見る人と視線が合うようになっており、その人の心を引き上げてくれる役割をする。いわば像の中の目にあたる部分」ということなのだだそうです。
舟越さんは、この26聖人像をつくる4年半の間、アトリエに寝泊まりし、制作に心血を注いだそうです。
制作記から一部を転載します。
『 ・・・この制作に私は私なりに作家生命を懸けるつもりで、四年半をこれに没頭した。全力を尽くした。
自分が作っている粘土の像が亡くなった父の顔に見えて、それが私に話しかけるように思われたこともあった。
少年の頃の私のがむしゃらな反抗が、どんなに父の心を傷つけたことだろうかと、断腸の思いでその像の前に立ちすくんだこともあった。
制作中の様々な想い出が、今でも鮮明によみがえってくる。
四年半の制作中、アトリエに寝たので、いつも私の頭上に聖人像があった。
貧苦に耐えて制作を続けた。・・・ 』
上の文面から、この時の制作費と実際の費用が、いかにかけ離れていたかが伺えます。
舟越さんが26聖人像を完成させたのは、50歳の時でした。
私が、こどもの頃から、この像を見るたびに気になっていたのは、特別に小さい2体、12歳のルドビコ茨木像と、13歳のアントニオの像です。
最年少のルドビコは混血児であり、差別とも闘いながら信仰を守り抜いた少年でした。
純粋な瞳でいたいけない少年の殉教の姿は、多くの見物者の涙をさそったそうです。
舟越さんは、74歳にして「聖ヴェロニカ」を創りあげたわずか半年後に脳梗塞で倒れ、右半身不随となってしまいます。
以降は、左手でスケッチや塑像を続けていますが、彫刻での最後の作品となったこの「聖ヴェロニカ」を見るたびに、この像を創る舟越さんの想いというものが、いかに強いものであったかが伝わってきます。
舟越さんは、3歳の時に母親を、17歳の時に父親を亡くしています。
記憶の中に無い幻の母親の姿を、このヴェロニカの中に描いたのかもしれません。
平成14年2月5日に舟越さんは亡くなられていますが、ちょうどこの日というのは、405年前に26聖人が殉教した日でした。・・・何かしら運命的なものを感じます。
「聖ベロニカ」像は、岩手県立美術館にあります。
たまに、疲れた時など、時々この像を見に行きたいのですが、さすがに岩手は遠すぎます。
いつかまた出会えるでしょうか。