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「長崎最大の偉人 ド・ロ神父」は、典型的な提唱者型(INFJ) ①居留地・横浜では、追放された問題外国人だった

ずっと長崎の歴史を調べてきたが、何と言っても「長崎最大の偉人」と言えば、フランス人のマルコ・マリー・ド・ロ神父と岩永マキであろう。
時代背景もあるが、その偉業はスケールと質が違う。

ド・ロ神父は、その考え方や行動を知れば知るほど、今の「16Personalities」で言えば、提唱者型(INFJ)であることに間違いない。
その足跡を数回に分けて紹介してみたいと思う。

まず来日して滞在した横浜でのこと。
神戸でも長崎でもそうであるが、外国人居留地というのは、港を望む山手にあって、いかにも「一等地」のような場所である。
そこに西洋風の「お屋敷」を建てて、いかにも「異人さん」といった感じであった。
しかし、ド・ロは全く違っていた。

(ド・ロは)施設建設に着手するのだが、その最中に彼が起こした「あ
る事件」が風刺画として描かれる要因となった。
ド・口から当時の思い出話を聞いた宣教師の記録によると、ド・口が建設資材を運ぶためにむちを携え、4頭の馬に引かれた荷馬車を自ら操る姿は型破りだった。
居留地に住む西洋人が彼のように肉体労働に従事することは不相応と考えられていたため、周囲の西洋人は驚きを隠せずにいたという。
記録はその事件にも言及している。
ド・ロが横浜のある通りでアメリカ領事と令嬢に出くわした際のこと。
令嬢が横暴な態度をとったため、きゅうをすえてやるような気持ちで彼女が乗っていた馬の後部を、むちの柄で突いた。
すると馬は仰天し、令嬢がぶざまな格好で落馬したというものである。
幸い令嬢は無傷であったが父親は激怒し、ド・ロの横浜からの即刻退去を要
求したという。

長崎新聞記事より

いかにもド・ロらしいと、おもわずにんまりしてしまう内容だが、実際アメリカ領事の娘を意図的に落馬させたというのは、当時は大変な事件でもあっただろう。

その前に、4頭もの馬を操って荷馬車を走らせていたド・ロの馬に対する技術も大したものであるし、どう考えても身軽な乗馬側が道を譲るべきであろう。

その事件後、すぐに長崎に移ったド・ロは、そこから超人的な活躍をすることになる。


1873年ジャパンパンチ10月号に掲載された、ド・ロを描いたとみられる風刺画。実際の彼は長身で瘦身の若きフランス人であった。


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江島 達也/対州屋
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