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こういう音楽の先生に習いたかった ~ シンガーとしての齋藤眞理(天地真理)さん

まずはイメージを取り払ってその歌声を聴いて欲しいと思います。

「言葉を置きにいく」・・・とでも言うのでしょうか。非常にクリアーな言葉が、すっと心に染み入ってくるような気がします。「この広い野原いっぱい」が作曲:森山良子さん、歌:天地真理さんと知らずとも、この声で「日本の名曲」としてアーカイブして欲しい、と思うのはひいき目と個人的な感傷なのでしょうか?


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齋藤眞理さんは昭和26年、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。2歳の頃、両親が離婚し、母親に引き取られ、母ひとり子ひとりで育っています。

昭和26年の大宮市。同市は戦時中、大規模な空襲は受けなかったこともあり、甚大な被害を受けた東京に代わり、経済・交通の要衝として栄えています。そんな中で離婚に至ったのは、何らかの理由があったのでしょうが、戦後の復興期で「生き馬の目を抜く」といった時代に、女手ひとつで子どもを育てたということは、想像を超える苦労があったことでしょう。

眞理さんの母親は、保育園の調理師として眞理さんと共に住み込みで働いていたといいます。

保育園と言えば、父親や祖父母、兄弟姉妹など、行事ごとに楽しそうな家族の姿を目にすることも多かったと思いますが、眞理さんの前で母親は、そんな寂しさを感じさせないくらい明るく振舞っていたであろうということは、いつも笑っている眞理さんのポートレートからも予測がつきます。

そして母親は小2の時、眞理さんの為にピアノを買い、それからピアノの練習を始めた眞理さんは私立である国立音大付属中学校のピアノ科に入学しています。その後国立音大付属高校に進学した彼女は、途中から声楽科に転科し、声楽を学んでいます。

高校時代に影響を受けたというのがアメリカのフォーク・シンガー、ジョーン・バエズだそうです。ジョーン・バエズはメキシコ系のアメリカ人。黒髪の地味なルックスにアコースティック・ギター1本で歌うというスタイルで、社会の不正や差別、反戦などを訴えた「プロテスト・ソング」シンガーの代表的な人物の一人でもあります。

現在、こういうことを公然と表現するアーティストは日本では殆ど見当たらないし、いたとしてもメディアには露出されないと思いますが、眞理さんが国立音大付中に入学した1960年代初頭は、アメリカで人種差別撤廃を求めた「公民権運動」が最高潮となる時で、ボブ・ディランウディ・ガスリーピート・シーガーなど多くのアーティストが注目されていました。(1963年にキング牧師の呼びかけによりワシントンDCで行われたワシントン大行進では、バエズやボブ・ディランチャールトン・ヘストンらのアーティスト・俳優等を含む20万人が参加し、世界中に大きな影響を与えています。この時キング牧師が行った演説が有名な「I have a dream」です。)

着飾らず質素ないでたち、アコースティック・ギター1本で歌うバエズの姿は、眞理さんの心に深く刻まれたことでしょう。
下の動画の中で、バエズは聴衆の前にギター1本でのぞみ、聴衆とハモっています。(バエズはサブのメロディーを歌います)


アルバイトしながら授業料を捻出し、「齋藤 マリ」の名でヤマハ・ポピュラー・コンテストにチャレンジしたこともあったという眞理さん。スター「天地 真理」にならなければ、音楽科の教師をしながらシンガーという道を歩んだのではないでしょうか。

しかし、今日私たちが彼女の歌声に出会うことができたのは、2012年11月15日に亡くなられた、女優・森 光子さんという存在があったからなのですね。

デビュー後、眞理さんは「天地 真理」として活動をスタートし、TBSの人気ドラマ「時間ですよ」の中の従業員役に応募するも、最終選考で落選となってしまいます。

しかし、主役であり選考委員として参加していた森さんが眞理さんの不合格を惜しみ、それまでの台本にない急ごしらえの新登場人物として出演させることを制作サイドに提案したことにより、眞理さんは番組の中で人気が出て、一躍脚光を浴びることとなります。

「ピアノの先生として将来、生計を立てられるように」との思いで、ピアノを買い与え、我が子の幸せを願った実の母親も苦労続きの中で亡くなり、自分に実の娘のように接してくれ、芸能界の中で育ててくれた人もまた亡くしてしまった眞理さんですが、その後は「子守唄 母の愛」を作曲するなど、ずっと音楽活動を続けておられます。

自分が受け取った愛情を、実の娘さんだけでなく、多くの方に届けようとされている姿勢は、すばらしいですね。

このような音楽の先生がいて、どこか広い場所でギター1本で一緒に歌ってくれる・・・こんな出会いがあったとしたら、生涯忘れることは、ないでしょうね・・。

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