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「啖呵売」という話芸による、上級の販売方法に、新しく学ぶ②「この人から買いたい!」

長崎市には、昔から「おくんち」と呼ばれる祭りがあります。
毎年、10月の7,8,9日に行われるので、「9日=くんち」と呼ばれるようになった祭りです。
昔は、一帯を埋め尽くすほど露店が並び、賑やかでした。
子どもの頃は、山車などよりも、にぎやかな露店めぐりが楽しみで、友だちと繰り出していたのですが、もっと昔を辿ると、より活気が溢れていたことがわかります。そこでは、すばらしい「話芸」とも言える啖呵売が至るところで行われていたようです。

『 おくんちの出店  』

(前略)・・・・売る人は大きい声でりんご箱をたたきながら、「三百円。三百円。三百円よ。買うもんおらんね。よっしょ。二百八十。はい二百八十円。買わんとね。ぜん(銭)ば持たんとやろう。よし。おいもちっと勉強して二百五十円。ほら五まいで二百五十円よ。」とさけんでいた。
二百円~百五十円~百円になった。
すると父が、「よし買おう」といった。私はむねがどきっとした。店の人は「ようまた、がまんしとったね」と、にがわらいをしていた。
どこの人もいせいがいい。ぼうでりんご箱をたたきながら、お客をわらわせている。
そのとなりのとなりへ行った。まだ若い男の人で、頭にねじりはちまきをしていた。お客さんが、「そい、いくらね」といったら、「十まいで、二百円です」といった。
お客さんが、「そいば五まいちょうだい」といった。
店の男が、「はい。一まい二十円ですから、五まいで百二十円ですね」といった。
「なんがね。百円でしたい」とお客さんがいうと、「ああ、そうですか。有田(佐賀県有田市)では二かける五は十二となろうたとですけど、長崎では二かける五は十と習うたとですか。確かに十二が正しかとばってん、十でしたか。どうも。」といった。
見ているお客さんがわらった。
店の人は五まいを、「は、よ、わ、れ、ろ」と数えて相手のお客さんにわたした。」   
                (長崎市立上長崎小6年 宮本 京子) 

日本子ども風土記(長崎)より

ところが、ここ数年と言うか、数十年と言うか、露天商での啖呵売はすっかり「絶滅」してしまっております。
それどころか、的屋の人たちが陰気くさくて、勝っても大して嬉しそうでもありません。
ですから、お祭りに行っても、食べ物とあと「くじ」などをやると、もう後は何もすることが無くなり、ただ帰るだけです。

そうして、段々というか、年々「おくんち」に対して魅力が無くなっていきました。

露店で何か、食べ物を買うと、最低でも500円はします。
例えば、子どもが何か「くじ」を買うと、ほとんどが「はずれ」で、100円ショップで売っているようなディズニーのキャラクターがついたサイフなどをくれるだけです。「はぁ、400円の儲けか。あこぎな商売してんな!」という思いがよぎります。
「お祭りの時は、ご祝儀価格」という感覚の私らですら、いい気分どころか、暗い気持ちになります。
大げさに言うと、悲しくなります。

「時代の流れだからしょうがない」だけでは無いと思います。
今の時代においてでも、お客さんを楽しませる工夫はできるはずです。
ただそれを日々考えながら商売をする、生きている人が居なさすぎる気がしています。

たとえ、売っている物は、そこらの100円ショップで100円で買えるような物でも、この人から買いたい!」と思えるような人、そんな人に巡り合うことは、おそろしく難しくなっていると思います。
しかし、逆にその点を考えれば、「商売=販売方法=購買者の気持ちを明るく高める」という商売のエッセンスがわかってくるような気がします。






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