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地底の記録ー呪詛 坑内馬と馬夫と女坑夫 ③ 武松 輝男 著


※著者も亡くなり、出版社も無くなってしまった。
古書もweb上でも、ほぼ見つけることができない。
このままでは、唯一詳細な「坑内馬」の記録が消滅してしまうと危惧し、ここに写し取っておく。

・・・は停年時の半分になってしまうような制度にしている。
これでは家庭的か、 あるいは身体的な抜きさしならない事情が生れてこないかぎり、辞めることはできない。
坑内での作業がどれほど危険であっても、仕方がないとあきらめる以外にないのである。
そのような坑内職場へ、 父親が災害で死亡したため、母親やまだ幼い兄弟と日々の生活を営むために夢にまでみた東京の職場を若者は捨てた。
『何のバツでこのような因果な坑内(あな)下りをしなければならないか、 仕事が苦しくつらいときは、 いつもそう思いますよ。 そう思ったにしても仕方がないことで、半分はヤケになって諦めてますがネ』
明治から大正にかけての間部掘り(間部とは竪坑を意味するものであるが、石炭を掘る坑夫を指していた)はもっと悲惨であったと言っていい。
農作物の収穫が殆ど絶無に近い岩肌のむき出た山嶽地で、年貢のかたに借金をし、その借金のカタに人身売買同様になって、 やむをえず炭砿に流れてきた者にとっては、帰って行ける家もなくなおのこと炭砿から足を抜くことはできない。
馬にしても同じことだ。炭砿で買い取る馬というのは、燕麦のひとつかみも家畜にやれない。年貢にもこと欠く貧しい百姓から買い取られてきたのであるから、炭砿の中で生死を分つほかに生きる術がないのである。
このようなしがらみの中で生活している人や馬に、単純に辞めればよいではないかとは、とても言えない。
ところがつい最近のことではあるが、炭砿と同じ町に住み革新系を自認するある労働組合の委員長が、ある会合で炭砿の実情と制度それに賃金制度を聞いて、辞めればいいではないか、と無雑作に言う。
たしかに現代的合理性から見れば、転職すればよいだろう。しかしそれができない炭砿労働者の実態を、同じ町に住む労働組合の委員長が知らなすぎることが、私はもっと悲しいと思う。
三池炭砿を語るうえで避けて通れないいくつかの事例がある。戦前で言えば、何といっても三池炭砿の基礎をつくった囚人労働である。
そのほかに与論島労務者、強制連行中国人朝鮮人労務者、それに坑内石炭運搬の馬がある。戦後をみれば三池闘争であり、そのあとおきた三川鉱炭塵大爆発であろう。
開発以来、囚人労働で支えられてきたのは宮原坑、別名修羅坑である。この宮原坑にはニツの竪坑があった。

(P10~11)

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