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ストロベリーフィールズ・フォーエバー ~ ジョン・レノンが幼い頃遊んだ、自宅近所にあった救世軍孤児院

もし一度でも、リバプールに行くことができたら、最も行きたいのが、表題のストロベリーフィールズ孤児院跡(現在は、学習困難者の若者を支援する施設となっている)と、すぐ近くに合ったジョン・レノンが5歳からミミおはさん、ジョージおじさんと住んだ家があった場所(通称メンディップス)。

ジョンは、友達とこの孤児院の庭で遊んだといい、庭で行われるパーティーの音楽が聴こえてくると、ミミに「はやく、行こう!」とせがんだという。


母が比較的近くに住んでいたにも関わらず、5歳から叔母と暮らし始めたのは、複雑な事情があるが、それを理解するには時間がかかるので、下の引用を読んでもらった方がわかりやすいだろう。

父親「アルフレッド・レノン」は、遠洋航路の客船の乗組員として給仕(ウェイター?)をしていた。遊び好きで家庭を省みないフレッドはジョンが一歳半の時に行方不明になり送金が途絶えた。

実母であるジョンの母「ジュリア」はジョンが3歳の時、二人目の夫となるジョン・ダイキンズと同棲生活を始めておりジョンが5歳のときに、ジュリアの姉である「メアリー(通称ミミおばさん)」に預けられた。

ミミおばさんの証言を要約すると、「ジュリアの再婚に際してジョンを連れて行くのは具合が悪く、安定した幸福な家庭が必要だし、ジュリアも・フレッドもそれを望んでいた。」

そんなある日、ミミのところへフレッドから電話があった。「休みを利用して一日でいいから子どもたちに人気の高い観光地(ブラックプール)に連れて行ってあげたい。」

フレッドはジョンを連れ出したが、二度と帰らないつもりでだったので、その約束を破り数週間ジョンと一緒にフレッドの友人の家で過ごした。

そのことを知ったジュリアは息子がそのまま連れ去られるのではないかと心配し観光地を探しまわりようやく二人を探し当てた。

ジュリアはフレッドに会うなり「ジョンを連れ戻しに来たの、新しい家を探しているところで、そこでジョンと暮らすの」
フレッド「(この休みの間にすっかりジョンと仲良くなったので)ニュージーランドに連れて行くつもりだ一緒に来ないか?そうすれば、また家族に戻れる。」

しかし、すでに、ダイキンズと同棲生活をしており、聞く耳を持たないジュリアは首を縦にふらなかった。二人は言い合いになり、そこでフレッドは「そこでジョンに決めさせようと」持ちかけた。

ジョンはフレッドの膝に飛び乗り抱きつきながら「ママが帰ってきたの?」とフレッドに聞いた。
フレッドは「いや、ママと暮らすか、パパと暮らすかここでお前が決めなさい」とせまった。

ジョンは「パパと暮らす」と答えた。
ジュリアもおなじ質問をジョンに繰り返した。
やはりジョンは「パパと暮らす」と答えた。

ジュリアは涙を浮かべながらその場を出て、道を歩き出した。
するとジョンは立ち上がり、彼女を追って出て行ってしまった。

実のところはジョンと一緒に暮らし始めたばかりのミミが一番ジョンを取り戻したかったのだ。
ジュリアも「新しい家でジョンと住む」といったものの、ジョンはそれ以来ずっとミミのところへ住むようになり、父親の事はすっかり忘れてしまった。

それ以来、フレッドはジョンがビートルズとして有名になるまで、ジョンと会うこともなく噂さえ聞くこともなかった。

●母親との死別

「ぼくが住んでいた叔母の家にやってきた後、酔っ払いやがった、非番のポリ公に殺されたんだ。(※非番の警察官が運転する車が母・ジュリアをはね死亡させる。)

ぼくはその場には居あわせてなかったんだ。

母はバス停にいただけなんだよ。

ぼくは16だった。これでまた、心に大きな傷を負ったんだよ。

ぼくは2度母親を失ってるんだ。1度目は5歳で叔母と一緒に住むようになった時で、2度めは、死んでしまった時だ。

母に死なれて、ぼくはいっそう他人に辛辣にあたるようになったな。小さい時からもっていた挑戦的な態度が、非常に露骨になっていったね。

母との関係を立てなおそうと本気で考えはじめたとたん、母が殺されたんだ。」 プレイボーイ誌インタビューより

半兵衛さんのブログより

実は2段落目には、もっと複雑な事情があり、この詳細をジョンが知っていたかどうかは、わからないが、この部分の詳細な事情は、また別のサイトの記事の中で明らかにされている。

ジョンが誕生した時、アルフは航海中で、出産の立会はできず、心配した姉のミミが病院に電話すると、看護婦は「元気な男子を産みました」とミミに伝えます。

ジュリアは息子ジョンと共にウールトン・アラートン通り120a番地に建つミミの夫であるジョージ・スミス所有の通称「酪農小屋」と呼ばれる家に1942年から43年の約1年間の間住むこととなります。

この場所は、姉のミミの勧めで住むことになったもので、理由はミミの家から近く実家のスタンリー家から遠いからです。

当時アルフは船に乗ったままで家には帰らず、ジュリアに「長引く戦争で気が滅入るから、たまには外出して楽しみなさい」と手紙を書き、ジュリアはジョンをミミに預け、度々ダンスホールで夜を過ごすようになります。

そして、1942年、ジュリアはウェールズ人兵であるタフィ・ウィリアムズと知り合います。

夫のアルフは航海中で家に帰らない日々が続いた1942年某日、ウェールズ人兵であるタフィ・ウィリアムズと知り合ったジュリアは、1944年後半ウィリアムズの子供を妊娠し、彼と一緒に住むことを希望するようになります。

しかし、ウィリアムズはジュリアに対し「君が息子を手放さない限り君とは一緒になれない」と拒みます。

それに不満を覚えたジュリアは勿論承諾せず、「妊娠の理由は見知らぬ兵隊にレイプされたから」と言いふらすようになり、彼とは破局を迎えます。

この時、アルフ自信はリヴァプールに戻ってきており、ジュリアに対し「これまで通りジュリアとジョン、そして生まれて来る赤ん坊の面倒も見る」と申し出ますが、ジュリアはこの申し出を拒否し、夫婦の関係は終わろうとします。

しかし、アルフはジュリアのお腹を子を産ませるために出産する前の数ヶ月間、ジョンをリヴァプール郊外のマグハルにある兄シドニーの家に連れて行き、ジュリアに付き添います。

そして、1945年6月19日、ノース・モスリー・ヒル通りの救世軍エルムズウッド病院でお腹の子供の出産に立ち会います。

生まれた子供は女の子で「ヴィクトリア・エリザベス (Victoria Elizabeth)」 と名付けます。

しかし、この「ヴィクトリア出産の件」に対し、ジュリアの実家は強い反対と圧力をかけ、ヴィクトリアはノルウェー救世軍の大佐ペダー・ペダーセンと妻マーガレットのもとに養子に出され、「イングリッド・マリー・ペダーセン (Ingrid Marie Pedersen) 」と改名し、ノルウェーで育てられます。

ジョンの父親違いの妹ヴィクトリア誕生の1年後の1946年、ジュリアはジョンが通うモスピッツ小学校近くのカフェーで働きだします。

ジュリアはそこでハンサムで清潔そうな男性に出逢います。
彼の名前は「ディキンズ」と云い、職業はリヴァプールのアデルフィ・ホテルのワイン給仕係で、酒、チョコレート、絹のストッキングなどの制限物資を手に入れることもでき、毎日を贅沢に暮らしており、そこにも惹かれたジュリアはその後も彼と逢うようになって行きます。

その後、同棲に発展するのですが、夫アルフとの離婚は成立しておらず、周りからはディキンズの内縁の妻と噂されながら、ジュリアとディキンズ、そしてジョンとの生活が始まります。

ジョンにとって居心地がいいとは云えず、「私たちと一緒に仲よく暮らそう」と云うジュリアの言葉を無視し、ジュリアの4人の姉妹の間を行き来したり、泣きながらミミの家に逃げ込む日々が続きます。

娘がディキンズの内縁の妻となっていると云う事実をスタンリーの実家が認めるわけも無く、ただ一人の味方であるミミからの助言もジュリアは圧力と感じるようになり、それと見兼ねたミミは「幼いジョンがジュリアとディキンズと同じベットに寝かされることはジョンにとって良くない」とリヴァプールの社会相談窓口に苦情を申し立て、その結果ジョンの養育はミミとその夫のジョージ・スミスに委ねられることとなります。

そして、メンローヴ通り251番地の通称「メンディップス」と呼ばれるミミの家で、ジョンとミミそしてミミの夫のジョージ・スミス氏の暮らしが始まります。

灰皿の中のビートルズ~あまり語られてこなかった”ジュリア・レノン”とは

その後、ジョンが14歳の時に、仲が良かったジョージおじさんが病死し、16歳の時には、実の母ジュリアが、この自宅跡とストロベリーフィールズ孤児院跡の近くの通りで交通事故により亡くなっている。

当時とはだいぶ様子も変わっているだろうが、ジョンが当時どのような風景を見ていたのか、どのような空気感の中にいたのか、を感じたいと思う。


1949年夏 8歳のジョンと母ジュリアン(色彩はAIで付けてある)


2024年現在のgooglemapでのストロベリーフィールズ孤児院跡正面ゲート。
有難いことに、今は現地に行かず、どんな感じなのかwebでうかがうことができる。
通称「メンディップス」と呼ばれるジョンが5歳から23歳頃まで住んだ家。
向かって左側半分がそうで、ミミは後にここを売却したが、その後オノ・ヨーコが買い戻し、当時の様子に近く改装した上で、ナショナル・トラストに寄贈している。
左上がストロベリーフィールズ孤児院跡。真ん中中央下が”メンディップス”である。
母ジュリアは、家の前を通るメンローブ・アベニューのバス停にいるところ、酒に酔った非番の警察官の車によって、轢き殺された。(或いは中央分離帯に居たという説もある)
現在の、メンディップス前のメンローブ・アベニュー。
いつ頃か、わからないが、桜が咲いている。もしかするとヨーコが寄贈したものかもしれない。
現在のストロベリーフィールズ孤児院跡の前の風景。


左上が”メンディップス”、右側がストロベリーフィールズ孤児院跡である。
リバプールを北側から俯瞰している。”メンディップス”とストロベリーフィールズは、マージ―川の北側になる。
左上が、ジョンがものごころついた後、わずかな期間暮らした家、右下がメンディップスとストロベリーフィールズである。生家であるニューキャッスル・ロード9番地の近くに「ペニー・レーン」がある。
ストロベリーフィールズ孤児院跡の裏門。メンディップスからストロベリーフィールドまでの近道で行った場合、この門をくぐっていっただろう。


ジョージ叔父さんとジョン
ミミ叔母さんとジョン



Let me take you down
'cause I'm going to Strawberry Fields
Nothing is real
And nothing to get hung about
Strawberry Fields forever

君も一緒に来ないか
これからストロベリー・フィールズに行くんでね
現実なんて何もない
こだわることなんて何もない
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

Living is easy with eyes closed
Misunderstanding all you see
It's getting hard to be someone
But it all works out
It doesn't matter much to me

目を閉じて生きることは簡単さ
目に映るものすべてを誤解しているからね
「誰か」になるのは難しいことだ
でもすべてなるようになってる
僕にとっては、どうでもいいことなんだけど

Let me take you down
'cause I'm going to Strawberry Fields
Nothing is real
And nothing to get hung about
Strawberry Fields forever

君も一緒に来ないか
これからストロベリー・フィールズに行くんでね
現実なんて何もない
こだわることなんて何もない
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

No one I think is in my tree
I mean, it must be high or low
That is, you can't, you know, tune in
But it's all right
That is, I think it's not too bad

僕の木には誰もいない
高かすぎたり、低すぎるんだろう
つまり、同調はできないってこと
別に構わないさ
僕にとって、そんなに悪いことじゃない

Let me take you down
'cause I'm going to Strawberry Fields
Nothing is real
And nothing to get hung about
Strawberry Fields forever

君も一緒に来ないか
これからストロベリー・フィールズに行くんでね
現実なんて何もない
こだわることなんて何もない
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

Always no, sometimes think it's me
But you know, I know when it's a dream
I think a "No," I mean a "Yes,"
But it's all wrong
That is, I think I disagree

「いつも何か違う」、時々それが僕なんだと思う
そう、それは「夢想」にすぎないってことさ
僕が言ってる"ノー "は 、つまりは"イエス "と大して変わらない
でもやっぱり全て間違ってる
僕は同意なんてできない

Let me take you down
'cause I'm going to Strawberry Fields
Nothing is real
And nothing to get hung about
Strawberry Fields forever

君も一緒に来ないか
これからストロベリー・フィールズに行くんでね
現実なんて何もない
こだわることなんて何もない
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

Strawberry Fields forever
ストロベリーフィールズは永遠なんだ
Strawberry Fields forever
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

Strawberry Fields forever
ストロベリーフィールズは永遠なんだ

(訳:江島)

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