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この日の日記は、特に秀逸な部分であり、大学などの教育機関で、ぜひ取り上げて教材にしてほしいと考えます。
発端は、「アンネがマルゴーの読みかけの本を断わりなしに読んだ」と思うかもしれませんが、この日の内容は、人間の存在意義にも関わる、深い内容を持つものです。
第一次世界大戦のほぼすべてのツケを押し付けられたドイツがその鬱憤を晴らすべく、始まった第二次世界大戦。
ヒットラーが押し付けた狂気は、「人種差別」でしたが、その狂気から逃れるはずのフランク一家の中にも、実は「戦争のはじまり」とも言うべき差別が芽吹いていることをアンネは訴えています。
アンネは、そのことを「なのにパパは、 マルゴーとわたしとを差別してることに気がつかないんです。」と、直接、差別という言葉を使って訴えています。
また、「わたしはいつだつて家族のなかの出来損ない、みそっかす扱い」という「~扱い」をされているという名称も引用しています。
母であるエーディトに対しては、もはや一人の尊厳ある人間の立場として、関わることを、14歳にして放棄した意志がうかがえます。
アンネは、この日の日記の前半部分で、冷静に、また理路整然と述べています。
また、その上で、母親とは「No Deal」とした上で、踏襲し、理想の人間となれるよう決意していたことがうかがえます。
もしフランク一家が、アンネのことを「~あつかい」せず、一人の「アンネ・フランクさん」として尊重して扱っていたのであれば、アンネが本を手にしていたとしても、マルゴーは「ああ、その本はおもしろいですよ!どうぞ、読んでみませんか?」と言うべきであるし、母エーディトや、父フランクは、「こんな状況ですからね。無理もないでしょう!」と理解を示したでしょう。
アンネが主張する通り、「小さな(小さいと見える)差別」こそが、「戦争の根源」なのです。