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私の祖父母は、この炭鉱があった場所から、ほど近い佐賀県杵島郡白石町で農夫をしていた。
南満州鉄道時代は、大陸で昇進話もあったそうだが、なぜだか終戦の4年も前に、その昇進話を蹴って内地勤務に戻り、東京~福岡と勤務地を移った後、農業を生業に選んでいる。
「にわか農夫」であったため、大変苦労したらしいが、当時杵島炭鉱が栄えていたため、よく野菜をリヤカーに積んで売りにいったらしい。
作文の女の子の父親が勤めていた五坑も昭和40年代に閉山となっているので、この作文の後間もなく、この地を離れざるをえなかっただろう。
その事を思うと胸が痛む。
それだけに、クリスマスの日に、うれしそうな顔でケーキの箱を抱えてうちへ帰る父と子の姿が、まぶしく浮かんでくる。