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私たちの豊かすぎる生活は、地球上の誰かの生存と安寧をおびやかしていないのか?

「自分たちは、豊かな国、日本に生まれてよかった」と思うでしょうか?

しかし、その「豊かさ」は、どう考えても「地球上の様々な場所の人々の安寧と生存を脅かした上で成り立っている」ことは明らかです。

例えば、「きれいな水」。

ライフラインである水が無ければ、たちまち生活は成り立たないことは、災害時の報道などを見ても一目瞭然なことです。

しかし、私たちの何気ない暮らしの裏では、毎日大量の清潔な水が使われていることも明らかです。
ほぼ毎日利用するスーパーマーケットや、毎週毎に利用する商業施設では、バック・ヤードなどで大量の水が使われているのはもちろんですが、販売されている大量の商品は、その製造過程において、日本以外の国や地域においても、莫大な量の水(清潔な水:以下同じ)を使用しています

例えば、外国産の牛肉やジャガイモ。
今すぐスーパーに行けば、外国産のものが比較的安価に購入することができますが、牛一頭が成長して食肉になり、消費地日本に運ばれるまでに、一体どれくらいの水が使われるでしょうか?
飼料、飲み水、洗浄・清掃・・・など、想像もできない量の水が使われます。
おまけに食べた後の食器や容器を洗浄するのにも結構な水を使います。

ジャガイモなどの野菜や果物なども然りです。

しかし、本来それは動物や植物を育てている現地の人が得られるべき水ではないのでしょうか?
しかし、私たちは今SNS等で、地球上の何億という人が清潔な水を使えず、中には泥水を生活用水に使っていることも十分知っています

そう考えていくと、水以外のあらゆるもの、資源は有限であり、それは未来の人々の文も含め、地球上の全て人でシェアしなければならないことは明確です。

今の学生たちは小学生から高校生まで、そのようなことを少しずつ学んでいます。
「SDGs」はもちろん、「フードマイル」、「千年もつ釘」など、教材の中にも現代日本人の過度な飽食贅沢礼賛に警鐘を鳴らす内容が含まれ始めています。

「きれいな水」

「生きていけるための食料」

「清潔なトイレ」

「安心して眠れる住居」

この四つは、今この世界に存在する命が平等に受け取るべき最低限のものです。

それが出来ていない人々がいるとすれば、「(たまたま)余分に流れてきた水」或いは「必要以上に流れを自分の方へ流してしまった水」を他の方へ流していない一部の人々の責任なのです。

今、わたしたちは「我田引水」という、すぐれた日本の戒めの言葉を重く受け取るべきです。


2,3日前、「自分は偏差値74の高校から来た!」と叫び、他人を無差別に切りつけた高校生が逮捕されました。象徴的な事件です。
まだ、こんな時代になっても「学歴偏重社会」という盲信が青少年らを苦しめていたのですね。

この高校生は東京大学医学部を目指していたのですが、成績が振るわなくなったことからおかしくなったようです。

しかし、おかしくなって事件を起こさなかったとしても、「人の命を救うことに繋がる」医療従事者は、まず第一に人の生存権と安寧を第一に考えるべきではないのかと思ってしまいます。
そういうことに全く興味を持たない者が、ただ暗記だけの試験で医療従事者になったとしたら、考えただけで恐ろしいことだと思います。


また、地元出身の有名な芸能人ですが、「男(人間)の値打ちは、年収で決まる」とか「(自分は)ナンバーワンDNA!」などと発言するのをラジオで聞いたことがあります。
それまで、故郷や家族のことを唄った、なかなかいい楽曲をつくるので親しみを感じていたのですが、この言葉を聞いて、以降一切受け付けなくなりました。冗談や軽口では許されない言葉です。

年収や資本金など、呼び方は様々に変わっても、「お金」はこの世に限りの或る食料や資源、そしてそれによって保障されるべき「全ての命の生存と安寧」を保障するためのものなのです。



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