長崎・道ノ尾駅前の車中で、朝ドラ「エール」を観る。「長崎の鐘」が流れる
朝、JR道ノ尾駅へ列車に乗る息子を送っていく。
多少待ち時間があるので、駅前に車を停めるとちょうど連ドラ「エール」の最終回が。
今日は、ドラマにちなんだ古関さんメロディーの音楽会。
最後の曲は古山 裕一指揮で、妻 音が唄う「長崎の鐘」だった。
ふと前を見ると、駅前に送迎バスを待つ小さな男の子と送ってきた両親の姿。
何ともほのぼのとした光景だが、75年前、ここは爆心地にもっとも接近できる最前線駅として臨時救護所が置かれた場所。
駅舎も当時のままで、今車がいっぱい停まっている場所には、ところ狭し都むしろが敷かれ、何十、何百という負傷者が並べられた場所。
それも、全身を焼かれ、男女の区別もつかないような状態の重傷者ばかりで、駆け付けた赤十字の看護婦たちも、手の施しようが無かったと言います。
そればかりか、大量の放射線を浴びた為に、本人の免疫系が破壊されたばかりでなく、手当に駆け付けた看護婦たちも入市被爆し、命を落とした人も少なくなかった。
左手の黒い柵の所には小川が流れており、瀕死の状態でやっとたどり着いた人も、重度の火傷から水を欲し、川のところまで這って行って川の水を飲み、そのまま息絶えた人も多かったのです。
そういう場所で、思いがけず「長崎の鐘」を聴いてしまうと、さすがにこみ上げるものがありました。
この駅には、通年、滑石中学校の生徒たちが、作った千羽鶴が掛けてあり、名物駅長ネコの「ねる」がいます。
夜、迎えに行った時、ねるに久しぶりに会ったので、チュールをサービスで2本やりました。
母と、掘り出されて間もない頃の長崎の鐘
駅長ネコの「ねる」
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