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一体どっちが「有害鳥獣」なのか? ~2021.5.23長崎新聞の記事より

2021年5月23日付け長崎新聞の記事。
「有害鳥獣」の記事として猟友会と連携する会の「ジビエ」活動の紹介をする記事。
「命をいただく」という表現には何の異論もない。

しかし、見出しのような画像を掲載し、「有害鳥獣」と記している点について、この記事を書いた記者と長崎新聞社は、「本当に被爆県として平和を推進する意味を取り違えていないのか?」という思いが浮かんだ。

もし、画像が野生の鹿ではなく、誰かのペットである犬か猫がくくり罠にかかったものであったら、非難囂々(ひなんごうごう)だろう。

しかし、当たり前のことだが、誕生する命に有害も無害も無い。

ブリーダーの元に生まれる犬猫の命や食肉となる牛や豚、鶏の命だけが有益なんてことはあり得ない。
小中学生でもわかることだ。

一方で農業で生活を支えている人にとってその作物を荒らされることは、すなわち「死活問題」である。これももっともなこと。


問題は、「命に関わること」について偏った報道をしてはならない新聞社、しかもその地域では公に近い立場に立つべき新聞社がそのような視点に欠けていること。

野生動物、これはもちろん農家の人間と同じく、生きる為に必死で餌を探す。
特にこの冬は木の実が記録的な不作なので、鹿や熊など山中の野生動物は飢え死に寸前の状態で里に下りてきていることは容易に想像できる。
親鹿は、危険を承知で、生まれてきた子どもを育てるためにそうせざるを得ないのだ。

一方、我々人間は、「人間に有益な動物」として生かしている牛、豚の肉をかなり大量に食べ残して廃棄している。

豊かな里山を、今では花粉症という社会問題を引き起こしている杉だらけにして、多くの野生動物の餌場を奪った。

そういう視点を無視して、ほんの一部の活動から「有害」と見ること、これは「偏った見方」「~扱い」なのである。

人類は未だに戦争という大問題を解決できていないが、その戦争の始まりこそが、「~扱い」ではないのか?

「あいつは〇〇人だから」「あいつらは〇〇教徒だから」など、偏った見方でレッテルを貼り、憎しみを増幅させた結果、最終的に殺し合いでしかない戦争に発展する。

一見、何ら関係ないように思え、「そんなオーバーに考えなくても」と思うかもしれないが、「犬や猫はペットで人を癒したりする有益な動物」、一方「鹿や猪、熊は作物を荒らしたり人を傷つける有害な動物」という偏見を持つ、その歪んだ心が戦争に繋がっているという視点がまったく無い。

SDGsの15項目目は、「陸の豊かさを守ろう」である。

”今、地球上では年間4万種もの生物が絶滅しています。

つまり

1日(4万種÷365日)で 109種絶滅…

1時間(109種÷24時間)で 4.5種絶滅…

13分に1種の生物が絶滅しているのです。”


野生生物の問題は、もはや地球環境規模と世界平和につながる問題なのである。

そういった認識と気概を持って報道しないならば、ただのスポンサーの広告に申し訳程度に添えるだけの記事だけになってしまうだろう。

これは厳しいかもしれないが、かつて一緒に仕事をさせてもらったこともある同新聞社に対するエールなのである。


長崎新聞



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江島 達也/対州屋
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