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カポーティの「クリスマスの思い出」で英語を学ぶ ②


The person to whom she is speaking ismyself.
I am seven; she is sixty-something.
We are cousins, very distant ones, and we have lived together-well, as long as I can remember.
Other people inhabit the house, relatives and though they have power over us, and frequently make us cry, we are not, on the whole too much aware of them.
We are each other's best friend.
She calls me Buddy, in memory of a boy who was formerly her best friend.
The other Buddy died in the 1880's, when she was still a child.
She is still a child.
"I knew it before I got out of bed," she says, turning away from the window with a purposeful excitement in her eyes.
"The courthouse bell sounded so cold and clear. And there were no birds singing; they've gone to warmer country, yes indeed. Oh, Buddy, stop stuffing biscuit and fetch our bugry. HeIp me find my hat. We've thirty cakes to bake."
It's always the same: a morning arrives in November, and my friend, as though officially inaugurating the Christmas time of year that exhilarates her imagination and fuels the blaze of her heart, announces: "It's fruitcake weather!
Fetch our buggy. Help me find my hat."
The hat is found, a straw cartwheel corsaged' with velvet roses out-of-doors has faded: it once belonged to a more fashionable relative.

A CHRISTMAS MEMORY

relatives          親族
and though そして~だけれども
power over  支配する
purposeful  目的のある
yes indeed 「はい、そうですね」と意の、丁寧な相槌
stuffing   詰め込む
inaugurate   就任する
exhilarate  うきうきさせる。愉快にさせる。
Fetch    持ってくるの意のスラング。
straw cartwheel つばの広い円形の帽子。カート・ホイール・ハット。
belong    所属する。所有する。

龍口 直太朗訳さんの和訳と照らしてみます。

そう。おばちゃんが話しかけているのは、ぼく自身なんです。
ぼくは七つで、おばちゃんは六十いくつか。
ぼくたちはいとこ同士で――といっても、間がとても遠いのですが―
いままでずっと一緒に暮してきているのです。
そういえば、ぼくがまだ物心のつかない時分からずっとそうなんです。
この屋敷には、ほかのひとたちも―やはりこれも親戚ですが――住んでいます。ぼくたちよりずっと威張っていて、ちょいちょいぼくたちを泣かせますが、こちらはふだんそのひとたちのいうことをあんまり気にはしません。
おばちゃんとぼくは大の仲よしです。おばちゃんはぼくのことを「バディー」(仲良しの意)と呼びます。昔おばちゃんと仲よしだった小さな男の子のことをそう呼んでいたからだそうです。その子は一八八〇年代に亡くなったのですが、そのときはおばちゃんもまだ幼い子供だったのです。
でも、おばちゃんには今もって、やっぱり幼い子供みたいなところがありま
す。
「ゆうべ寝るまえから、きっとそうだと思ってたよ」と、おばちゃんは窓からこちらへふり向いて、まだ出かけぬ先から胸をおどらせているような眼でいいます。
「公会堂の鐘がとても寒そうに冴えかえっていたからな。もう小鳥も鳴かなくなったが、みんな暖かい国へ飛んでいっちゃったんだね、きっとそうだよ。さぁさ、バディー、もうビスケットをほおばるのはよしにして、わしらの車をひいといで。はあて、帽子はどこへいったかな??
ちょっと一緒にさがしとくれ。なにしろ、これから三十もケーキをこさえなきゃなんないんだからね」
毎年、こういう調子なのです。十一月のある朝になりますと、おばちやんは大きな声で、
「おやまあ、フルーツケーキの支度にかかるにはもってこいのお天気だよ! さあさ、わしらの車をひいといで。はあて、帽子はどこへいったかな? ちょっと一緒にさがしとくれ」
と、いつもそういうのです。それはまるで、さあ、いよいよクリスマスの季節がやってきたよ、あれこれ考えると、もう胸がわくわくして、じっとしていられない、とでも公に宣言してるみたいです。
帽子がみつかります。それはもと、あるハイカラな親戚のおばさんがかぶっていた麦ワラ帽子で、 一ドルもする、まるで本物のようなビロードのバラの花束がくっついていたのですが、今では麦ワラの色もすっかりあせています。

クリスマスの思い出/新潮文庫(龍口 直太朗訳)

The person to whom she is speaking ismyself.
そう。おばちゃんが話しかけているのは、ぼく自身なんです。

I am seven; she is sixty-something.
ぼくは七つで、おばちゃんは六十いくつか。

We are cousins, very distant ones, and we have lived together-well, as long as I can remember.
ぼくたちはいとこ同士で――といっても、間がとても遠いのですが―
いままでずっと一緒に暮してきているのです。そういえば、ぼくがまだ物心のつかない時分からずっとそうなんです。

Other people inhabit the house, relatives and though they have power over us, and frequently make us cry, we are not, on the whole too much aware of them.
この屋敷には、ほかのひとたちも―やはりこれも親戚ですが――住んでいます。ぼくたちよりずっと威張っていて、ちょいちょいぼくたちを泣かせますが、こちらはふだんそのひとたちのいうことをあんまり気にはしません。

We are each other's best friend.
おばちゃんとぼくは大の仲よしです。

She calls me Buddy, in memory of a boy who was formerly her best friend.
The other Buddy died in the 1880's, when she was still a child.
She is still a child.
おばちゃんはぼくのことを「バディー」(仲良しの意)と呼びます。昔おばちゃんと仲よしだった小さな男の子のことをそう呼んでいたからだそうです。その子は一八八〇年代に亡くなったのですが、そのときはおばちゃんもまだ幼い子供だったのです。
でも、おばちゃんには今もって、やっぱり幼い子供みたいなところがありま
す。

"I knew it before I got out of bed," she says, turning away from the window with a purposeful excitement in her eyes.
「ゆうべ寝るまえから、きっとそうだと思ってたよ」と、おばちゃんは窓からこちらへふり向いて、まだ出かけぬ先から胸をおどらせているような眼でいいます。
※「ベッドから出る前から」の方が正確な訳ではあると思います。

"The courthouse bell sounded so cold and clear. And there were no birds singing; they've gone to warmer country, yes indeed. Oh, Buddy, stop stuffing biscuit and fetch our bugry. HeIp me find my hat. We've thirty cakes to bake."
「公会堂の鐘がとても寒そうに冴えかえっていたからな。もう小鳥も鳴かなくなったが、みんな暖かい国へ飛んでいっちゃったんだね、きっとそうだよ。さぁさ、バディー、もうビスケットをほおばるのはよしにして、わしらの車をひいといで。はあて、帽子はどこへいったかな??
ちょっと一緒にさがしとくれ。なにしろ、これから三十もケーキをこさえなきゃなんないんだからね」
※courthouseは、裁判所あるいは、コの字型の建物。公共の建物?

It's always the same: a morning arrives in November, and my friend, as though officially inaugurating the Christmas time of year that exhilarates her imagination and fuels the blaze of her heart, announces: "It's fruitcake weather!Fetch our buggy. Help me find my hat."
毎年、こういう調子なのです。十一月のある朝になりますと、おばちやんは大きな声で、「おやまあ、フルーツケーキの支度にかかるにはもってこいのお天気だよ! さあさ、わしらの車をひいといで。はあて、帽子はどこへいったかな? ちょっと一緒にさがしとくれ」と、いつもそういうのです。それはまるで、さあ、いよいよクリスマスの季節がやってきたよ、あれこれ考えると、もう胸がわくわくして、じっとしていられない、とでも公に宣言してるみたいです。

The hat is found, a straw cartwheel corsaged'
with velvet roses out-of-doors has faded:
帽子がみつかります。それはもと、あるハイカラな親戚のおばさんがかぶっていた麦ワラ帽子で、 一ドルもする、まるで本物のようなビロードのバラの花束がくっついていたのですが、今では麦ワラの色もすっかりあせています。

原文を読み上げサイトで、MP-3にして、聞いてみます。


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江島 達也/対州屋
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