子ども 日本風土記〈秋田〉より② 「山ではたらくおとうさん」
山ではたらくおとうさん
おとうさんが早く山からかえつてきたら、べんきょう
をききたいと思います。
でも夜おそくかえってくるので、
きかれません。
坂の下の人や、あら町の人たちと、さむくないようにして行きます。
べんとう、馬のえさ、スコップ、木をつなぐロープなどをもっていきます。
馬には馬ぐつをはかせます。
雪道をつけてから、木ざいをこうばにうんばんするのです。
山はこちらよりずっと雪が多いし、さむいし、ふ
ぶきのときなどは、たいへんだろうと思います。
大きな木ですから、ひとりでは、むりです。
おとうさんが、けがなどしないようにとねがっています。
ばそりは道がこおってよくすべることもありますし、
雪がとけて、あんまりすべらないときもあります。
そんなときは、馬が、かわいそうです。
冬には、田んぼやはたけのしごとがないので、ふくぎ
ようとしてはたらいているのだそうです。
山ではおそくなって、さけをのんでくるときもあります。
わたしのおとうさんは、のめば少し赤くなってきたりします。
おとうさんはお金でゴムぐつをかってくれました。
ほんとうにありがたいと家の人はいっていました。
おばあさんは、小やでしごとをするときもあります。
馬に水をやったり、えさをやったりするときもあります。
(由利郡矢島小元町分校三年 もてぎゆうこ)
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父親は、馬による木材の切り出しを行っていたのでしょう。
由利郡矢島町は、秋田県南部の日本海に近い場所に位置するため、冬季にはかなりの積雪があるのだと思います。
雪が多い時は、それはそれで生活や仕事が大変なのですが、雪が溶けてくると、馬の曳く木材を積んだ橇が滑らないで大変だということを、父親からの話で、何度も聞いていたのでしょう。
そして、そんな父が買ってくれたゴム長靴は、何物にも代えがたい「宝物」であったことでしょう。
調べてみると、矢島小学校元町分校は、昭和47年に閉校しています。
出展元の「子ども 日本風土記」の発刊が昭和47年ですから、おそらく、もてぎ ゆうこさんが、この作文を書いたのは、昭和45~46年だと思います。
ゆうこさんは、この分校で卒業できたのか、どうかはわかりません。