長崎市最古のRC造(鉄筋コンクリート)・橋梁「 新橋 」2023現在
鉄筋を入れたコンクリートの工作物・建築をRC造と呼びますが、長崎市に残る最も歴史の古いRC造の橋梁が、長崎県庁に近い、岩原川の河口に架かる「新橋(或いは岩原新橋)」です。
架橋が大正4年(1915)で、世界遺産で名高い、軍艦島の最古のアパートである30号棟よりも、一年古いRC造の工作物です。
この橋梁のことが気になっていたので、先日用事で近くへ行った際に、現在の様子を確認してきました。
ご覧のように、橋梁と言っても、通行の為の用途は、ほぼ無く、店舗兼住宅の下という状況のため、当然「最古のRC造」として知られることも無く、哀しいぐらい、ひっそりとしています。
下は、約11年前の新橋です。外観はさほど変わっていないように見えますが、内部には「ひとけ」がほぼなくなっていました。
同年の通路部です。コンクリートがつやつやして、人が往来したり生活されている感じがします。
一般通路ではなく、店舗へのアクセス道という位置づけであるためか、お店を閉められた現在は、植木鉢なども無くなり、きれいに清掃はされていますが、ご覧のようなに、「ひとけ」がありません。
この橋を、上流部から見たアングルです。かつて、この岩原川は暗渠になっておりまして、その上には「大黒恵美須市場」が建っていました。
というのは、1945年の長崎原爆の時に、この一帯もめちゃくちゃに壊されています。
下の写真は、原爆投下の翌日に、この近くで撮られたものです。
後に見えているのが、中町天主堂です。
このような状況ですから、被爆前たくさんあった民家や店舗は、壊滅状態となり、復興する過程で、店舗を暗渠の上に集めたという歴史過程があったわけです。
その市場も、撤去され、今は当時の姿を想像することも難しくなっていますから、この新橋が、どういった立場にあるのか、そんなことは私には一切わかりません。
しかし、大正時代から、昭和、平成、令和と原爆をはじめ、様々な時代をくぐり抜けてきたものが、埋もれていくのを見るのは、何とも哀しいものがあります。
下は11年前に撮ったものです。大黒恵美須市場にも、多くの猫たちがいたのですが、今ではこの猫たちも姿を消し、今ではわずかに数匹だけが残っているようでした。