榛名観光馬車馬 かんたろうくんの日々 ~ 動物愛護を極論として叫ぶ人へ
私が心底言いたいことを、よくぞここまで冷静に、そして丁寧に述べてくれた!と思いましたので、敬意を込めてご紹介いたします。
残念ながら、「馬を道具以下の存在」として扱う人がいること、過去にものすごくいたことは否定できません。
哀しいですが、私の馬の入り口に関わった施設の人もそうでした。
法律なんてお構いなし、建築法も無視して浄化槽も設置せず、素人がバラックづくりの厩舎?の中に、無料で手に入れた馬たちを押し込めて、専門の厩務員も調教者も置かず、障害のある児童をひき馬していくばくかの金を得ていました。
バラック厩舎周りは整地整備もしておらず、馬が脚を踏み外して転倒して脚を折った時も、何の処置もせず放っておき、翌日馬は息をひきとりました。
私は、その馬の死に顔を目の当たりにした時の衝撃を、今でも忘れることができません。
乗馬クラブでも、就労支援施設でも、安易にホースセラピーという流行りの言葉だけを聞きかじって、さっさと去勢したり、役に立たない馬だと判断すると馬肉の競りに出したり、処分するオーナーがいるという話は、そうめずらしいものではありません。
そのような哀しい現実があまりにも多いからこそ、「過剰な反応」をする人が出てきてしまうという現実も多くの人に知ってほしいと思います。
しかし、私のような一個人で馬と暮らした者にとっては、まだまだ言いたいことが沢山あります。
その一部だけを紹介させて頂きたいと思います。
*「大変ですね」と言って、作業中にも関わらず、声をかけてくる人は結構います。しかし、そういう人で、「お手伝いしてもいいですか?」と言う人は皆無です。
かんたろうくんの飼い主のご家族も、皆が宴に興じている時も、旅行の時も、また嵐や極寒や酷暑の中でも、毎日好きな馬の為にお世話を続けているのです。
*「嵐の時、馬が濡れて可哀そう!」と言われる方は結構おられます。(雨除けのシェルターはあるにも関わらずです)馬は犬や猫と違い、雨の掛からない空調の効いた室内で、人間とじゃれ合って暮らすことはできないし、それは馬にとっては幸せではありません。馬の身体はあっという間に弱り、亡くなってしまいます。馬の体毛はレインコートのようになっており、外側の雨や氷は、弾くようになっているのです。そうでなくなっている種の馬は、人間が過去に人間の都合に合わせて改良し、環境が合わないに連れてきてしまった結果なのです。
*「野生馬と違い、人と暮らすことでしか種の保存が叶わない馬の幸せとは、何なのか?」ということを心底考えて頂きたいと思います。
この広い地球上に、野生の馬たちがのびのびと草を食みながら暮らしてゆける場所がいったい、どれだけあるでしょうか?
絶滅に追い込まれた馬たちは、人と一緒に共生の道を探すしかありません。(かんたろうくんもしかり)
そのような馬たちにとっては、「関わってあげる人間が、どのような人間性を持った方か」ということが、馬たちの幸せに大きな意味をもたらすのだと思います。
まだまだいくらでもあるのですが、またの機会に・・・・・。
※「チップ」は有難く拝受させて頂きます。もし、この記事が多少でも役に立った、或いは「よかったので、多少でもお心づけを」と思われましたら、どうぞよろしくお願いいたします。贈って頂いたお金は1円たりとも無駄にせず大切に使わせて頂きます。