浦上天主堂の石垣
ただでさえ、石垣に惹かれる私なのですが、浦上天主堂のまわりにある石垣は、爆心地からわずかに500mという至近距離にありながら、その猛烈な爆風に耐え、今もその姿を保っています・・・。
熱線により赤茶色に焼けているのが確認できますが、倒れる危険性などはないということです。
もともと、この石垣、原爆で焼失した旧浦上天主堂(大正3年完成)の時代の、さらにもっと前、旧浦上村山里の庄屋屋敷の石垣として造成されたものです。(浦上教会が高谷家から、明治13年に買収)
石垣は庄屋屋敷とともに築かれているので、その歴史はゆうに200年を越えている・・・・というものです。
旧浦上天主堂の鐘楼を吹き飛ばし、鉄塔をアメのようにねじ曲げた、爆風と熱線も、この石垣を壊すことができなかったわけです。
「人は石垣・・・」と言ったのは、武田信玄ですが、核廃絶に向けて更なる決意を固くする人々の心も、この石垣に負けないくらい、ずっと強固なものであって欲しいと思います。
(元記事作成:2010年10月25日)
*今でも、浦上天主堂の前を通る時、信号で停まると、この石垣をまじまじと見る。
観光客の人々や修学旅行生たちは、浦上天主堂や落下した鐘楼は見るけども、この石垣にはほとんど誰も気にとめない。
写真など撮らない。
しかし、この石垣こそ「浦上村」時代から続いてきたキリシタンの里の歴史と原爆の被害の両方の貴重な「証言者」なのだ。
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