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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑩ 恋愛感情を人間性の昇華と結び付けて捉えている

「隠れ家」の中の8人のうち、二人の母親は、特殊な環境に中に置かれた二人のことを、いたく心配して警戒していた。
確かに「恋に恋する年頃」ではあったが、それほど単純に、或いは軽薄に恋に憧れていたというわけではなく、その感情を、自己の人間性の昇華と結び付けて捉えていたことが判る。
アンネの母、エーディトは、もちろん娘を心配してのことだったが、「子どもを子ども扱いするべきでない」という思慮が無かった為に、最後までアンネからの信頼を得ることができなかった。

1944年2月27日、日曜日
(前略)
・・・まだ、彼がわたしを見つめているのを感じます。
わたしは確信していますが、ペーターとわたしとは、うわべにそう見えるほどかけはなれているわけじゃないんです。そのわけをお話ししましょう。
ふたりとも母親に恵まれていません。
彼のおかあさんはとても軽薄で、浮気っぱく、息子の内面の考えなどにはほとんど無頓着です。
わたしのおかあさんは、たしかにわたしを気づかってはくれますけど、鈍感で、気配りに欠け、真の母親らしさがありません。
ペーターもわたしも、それぞれ内面の感情と闘っています。
どちらもまだ自分というものをはっきりつかんでいませんし、感受性が強すぎて、粗雑に扱われることに耐えられません。
そういうことがあると、わたしはたちまち逃げだしたくなり、自分の感情を押し隠して、周囲に八つ当たりしたり、大声をあげたり、騒ぎたてたりしたあげくに、みんなから敬遠される結果になります。
いっぽう彼のほうは、自分の殻にとじこもり、ほとんど口もきかず、じっと身をひそめて、自昼夢にふけります。そうすることで、ほんとうの自分をひたかくしに隠しているわけです。
それにしても、わたしたちの心がついに触れあうまでになるのは、 いったいいつ、どのようにしてでしょうか?
わたしの良識なるものが、いつまでこの強いあこがれをおさえておけるものか、自分でもまったくわかりません。
                じゃあまた、アンネ・M・フランクより

アンネの日記増補新訂版 p342


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江島 達也/対州屋
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