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映画「にあんちゃん」の中に見る、昭和34年の鯛之鼻炭鉱の風景③
こういうキャプチャーはいかがなものことは思いますが、「にあんちゃん」はVHSも廃盤になっているようですし、DVDとして復刻するかどうかも現時点ではわかりません。
昭和44年に閉山してから、(2011年当時で)早や44年。鯛之鼻で働いていた、或いは暮らしていたという方もだいぶ年齢が上がってきていると思われますので、少しでも見ていただく機会になればと考え、このシリーズをUPしています。今回は鯛之浦のいろいろな風景を紹介したいと思います。
↓ めずらしいと思われる木製の炭函。
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鯛之鼻炭鉱と炭鉱町全景。
斜面の中腹に坑口があり、積み出し桟橋に向かって送炭線が伸び、海岸近くには貯炭場や坑木置き場・商店・住宅が見えます。
鉱業所の最も高い場所には、はっきりとはわかりませんが、白い観音様?のようなものがあるようです。
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中腹のグラウンドと背後に見える社宅群。1棟は浴場のようにも見えます。
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ボタ山の端と送炭線。
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ボタ山からのグラウンド俯瞰。
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海岸付近の貯炭場と積み込み桟橋(コンベア)下に接岸している運搬船。
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連絡船桟橋。
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上の画像に見えている構造物の柱が一部残っています。
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石炭を下に落としていた穴でしょう。
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炭住の室内。このシーンのように、突然窓が開いて誰かが話しかける・・ということもよくあったでしょう。
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炭鉱住宅街といえば重要な公共の場である、路地ですね。路地は生活の場であり、社交場であり、また子どもたちにとっては「社会教育の場」でもありました。
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後ろの建物には「保育園」とあります。父母とも鉱業所で働く家庭にとっては、なくてはならない場所ですね。
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坑口から外を見る。
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雨にけむる炭住街。それでも行きかう商人の姿が見えます。
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グラウンド付近に見える二階建ての炭鉱住宅。
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海岸沿いに建つ住宅。横に見えるのは鶏小屋でしょうか?
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幼子を背負ったまま石炭をくべる人の後ろでは、子どもたちがちゃんばらごっこをしています・・
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鉱業所の浴場。床が黒くなっているところからすると、鉱員さん用の浴場でしょう。ボイラーのパイプも見えています。
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浴場の出入り口。
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海上から見た映画館付近。随分と立派な建物であったことがわかります。
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映画館脇。背後に浴場が見えます。
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海にせり出した商店と文化会館。①にも書きましたが、「宮島醤油」は佐賀県唐津市の醤油製造メーカーです。
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引越しのために赤ん坊を背負い、幼子の手を引いて街を出て行く母子。わずかな家財道具と衣類。子どもの手にはヤカン・・・どこの炭鉱ででもよく見られた光景でしょう・・
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ボタ山を登る、にあんちゃんと末子。
背の高い草木が生えていることから、ボタ山形成後、長い年月が流れていることがわかります。
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ボタ山山頂から見たアングル。
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ボタ山山頂から。手前には別のボタ山があり、上半分が切り取られていることがわかります。海岸部もボタによる埋め立てですね。
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上の画像に見える海岸線の最も右よりの部分の現在。このすぐ向こうに積み出し桟橋がありました。
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運搬船を係留していた時に使っていたと見られる鎖。
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これはかなり腐食が進んでいます。昭和44年の閉山から、約42年。炭鉱と炭鉱町があったことを示す痕跡も次第に消えつつあります・・・
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(同地は現在、私有地となっており、無断での立ち入りは禁止されておりますので、ご注意ください)
(元記事作成:2012年01月)
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