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今もお茶の間で親しまれるサザエさんの作者、長谷川町子さんは炭鉱町気質!?

TVアニメ「サザエさん」は今や日曜夕方の代名詞ともなっている観がありますね。
アニメ自体はややインパクトに乏しい感じもしますが、そのベースに流れているものは基本、穏やかなヒューマニズムであり、BGMがわりにつけておけば、苛々させられることもありません。

作者はご存じ、長谷川町子さんですが、意外にも自身は生涯独身をつらぬいており夫や子どもという家族を持った経験がありません。しかし、同居していた母や姉妹、姪っ子、更にはペットたちがその家族としての役割を十二分に果たしていたことが、「サザエさん うちあけ話」(姉妹社刊)からうかがえます。

しかし長谷川町子さんのヒューマニズムの源流には、炭鉱技師であった亡き父(長谷川さん13歳の時に他界)から受け継がれた、「炭鉱気質」というものが色濃く繁栄されていたと思ってしまうのは、やはり私が炭鉱びいき?なせいでしょうか・・・?

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長谷川さんの祖父もまた相田炭鉱(現・福岡県飯塚市)の坑長をしていたとありますので、「炭鉱町ならではの気質」が代々受け継がれてきたと考えるのも、そう的はずれではないと思うのですが。

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相田炭鉱図。相田炭鉱は有名な伊藤伝右衛門が一時期買収した炭鉱としても知られていますね。

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伊藤伝右衛門については、また別の機会にトピックとして取り上げたいと思うほど、魅力的な人物なのですが、ここでは触れないこととします。

まるで伝右衛門を彷彿とさせるような人情深く豪快な人柄であったのが、長谷川さんの母で、夫(長谷川さんの父)が若くして亡くなった後、一文無しとなっても、「さぁこれですっかりなくなったよ」とまったく動ずることもなかったとあります。

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やがてはその母がかつて娘たちを売り込んでいた、田川水泡(漫画-本人)、藤島武二(洋画-姉)、菊池寛(文学-妹)らから救いの手である仕事の依頼が舞い込むようになり、一家は危機を脱しています。

当時の一家は、人をして「とてもご主人の亡いお宅たァ見えませんなァ!」と言わしめるほど明るく陽気に見えたそうです。これこそが「サザエさん」の原風景ですね。

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その逆境をもはね返していくバイタリティーと根源に流れるヒューマニズムは十分この現代にも参考となるものだと思います。またそれがゆえ42年間にもわたってTVアニメが続いているということなのでしょう。

ちなみに「サザエさん」の中の登場人物が全て海に関連のあるものであるのは、戦時中妹の病気療養を兼ねて疎開していた福岡市早良区西新が海辺であったことも、もはや有名なエピソードですね・・・。

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