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人間はある程度の自然の中でなければ健全に思考し、生きていくことができない
ニューヨークにあるセントラルパークは、皆知っていると思います。
公園と言うよりは、広大な自然公園という感じなのですが、これは今から200年以上前から計画・造成されてきた人工的な公園ですが、今ではリスや渡り鳥など豊かな野生動物の生息する場所となっています。
これは当時のヨーロッパから移住してきた住人たちが、ロンドンのハイド・パークやパリのブローニュの森のように、「大都市の中には、豊かな自然のある広大な公園が必要だ」ということを主張してきたからにほかなりません。
そして、このことを心底実感させてくれたのが、2020年から始まったコロナ禍です。
いくら「ステイ・ホーム」「休日はおうちで!」と呼び掛けても、群衆は我慢することができず、近隣の山(高尾山であるとか)に殺到しました。
河川敷はバーべキューのゴミが散乱しているそうです。
私の老いた親は、マンションの9階に住んでいます。部屋の中だけが個人の所有で、それ以外は共有スペースです。植木鉢ひとつありません。
従って、季節によってやってくる生物は何も存在しません。
食料品は宅配業者が持ってくるので、生活上何の手間はかからないのですが、やはりそんな高齢でも、部屋の中にじっとしていられません。
何かと言い訳して、わざわざ感染リスクの高い、スイミングプールに行きたがります。やはり、無機的なコンクリートの塊の中では、長期間正常な感覚でおれないのだと思います。
小さくても庭があって、木があれば鳥も虫もやってきます。季節によって草花は様々な彩りを見せてくれます。
鳥のさえずり、蝉のやコオロギの鳴き声、その他偶然やってくる動物たちの姿は、とても心の安定に役立ってくれます。
雨が屋根に当たる音や、雪が積もることなども大切なことですね。
毎日、そんなに意識しなくても少しずつ変わっている「自然、四季の移り変わり」を感じられる環境にいることは、人間にとって非常に大切なことと思います。
かく言う私も、もの心ついた時からアパート暮らしです。
今はもう取り壊されたアパート群は私の心の故郷です。アパートにはアパートの良さもあります。
この場合、間近に庭、或いは緑地のようなスペースがあることがとても大切と思います。
私は、私の馬が生きていて、毎朝夕馬と一緒に過ごしていた時期、何かとっても大事な決断をしなければならない時には、馬と一緒に居る時に決めるようにしていました。
今でもそれは正しかったと思っています。
今更、セントラル・パークを造るということではなくて、住居や施設、役場などを再構築・再建する場合に、これからの時代を担う若きデザイナーたちは、そういう価値観を入れ込んでみてはと思いますね。
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![江島 達也/対州屋](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/102599053/profile_360ea0f26f55760e52d49a90537ff5e7.jpg?width=600&crop=1:1,smart)