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子ども 日本風土記〈長崎〉より② 「はくさい売り」

『 わたしは、また、かしのうら(地名)に、はくさい売りに行きました。
持って行ったのは、十三ば、百三十円です。

うちを出る時、
「文子、うれじ(売れなくて)なくなよ。そして、うれてしもうたら、百十円のしょうゆば買うて来い。そしてさ、あとん(後の)二十円がと おかしば買うてこいよ」
と いいつけられました。
わたしは、「ようし、売れてしまえ」と、思いながら行きました。

かしのうらに着いて、
「ごめんください。はくさいは いらんとかな」
といって、家の中にはいって行ったら、
「よかったろうよなあ(いらないようだなぁ)」
といわれたので、がっかりしてしまいました。

そうして行っていると、はじめに行ったところは売れなかったが、おわりのころ、売れはじめました。
わたしは うれしくなりました。
はいきゅうしょの方で、売れてしまったのです。

それから、一わのこったのを、地下さんのうちに行って、
「ごめんください。はくさいは、いらんかな」
といったら、そこのおじさんが、
「はくさいって、どがんなもんかな(どういう状態の物かな)」
といったので、見せたら買ってくれました。
それで、百十円のしょうゆと、おかしを買いました。

うちに帰って、夕ごはんをたべるとき、おとうさんたちから、
「文子から、しょうゆば買うてもろて くうよ(買ってもらって食べるよ)」
といわれたので、うれしくもあり、おもしろくもありました。

(五島・福江市奥浦小3年 山見 文子)


☆彡


昭和47年頃に書かれた作文だから、この作文を書いた方は、私とほぼ同年代。

自分が小学三年生の時に、こんな野菜売りを出来たかと言えば、とてもではないが、そんな意気地は無くて出来なかっただろう。

物価が違う時代とは言え、ひとつ10円の白菜を13個も売りに行くということは、何か手押し車のようなものに積んで歩いたのだろう。

文中に出てくる樫浦は、世界遺産としても知られる堂崎天主堂のある奥浦集落から伸びる小さな半島にある小集落。野菜を手に入れるには不便な場所に行くわけだから、子どもの足だと大変だっただろう。

子どもだから買ってくれるというわけではなく、なかなか売れなったようだが、後になって売れはじめて嬉しくなるという心の動きがあり、それが本人にとって大変貴重な体験になったと思う。

お金を手にして買い物をする時の爽快な気持ちが、読み手にも伝わってくる。
そして、その醤油を使って食事する時の嬉しさも。

なかなか売れずにとぼとぼと家路についた日も当然あるだろう。
しかし、そこから創意工夫や情操が育まれるはずだ。
まさに「トライ&エラー」の学習をしているのだ。


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江島 達也/対州屋
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