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GIF動画版 『 ボクが持ちたか 』「長崎市・端島(軍艦島)=タイムスリップ編」



「兄ちゃん、後でボクに持たせるってゆうたやろ、早うかわって!」

「いや、こいは、おもたかけん、まだ持ちえん。かいだんば上がったら持たすっけん」

「父ちゃんは、かわりばんこに持てってゆうたやろ。兄ちゃんばっかり、ズルか」

「ばってんお前、こいは父ちゃんの正月用のサケやけん、落としてわったら、つまらんとばい」

「わかっとる。そいでもボクが持ちたいと!」

◇  

初めて「軍かん島」こと端島(はしま)に上陸した。
それは、一冊の絵本を読んだことがきっかけだった。
「・・・船に乗るのに、暗くて長いトンネルを通る。子どもをおんぶしたお母さんが『もうすぐだけんね』と声をかける。さんばしの名前はドルフィンという、だ円形のはなれ小島・・・」
一体どういう島だったのだろう?
初めはただドルフィンとトンネルを見たかった。

島に着いてガイドさんの話を聞いた。
その後、かたっぱしから本や資料を読んだ。
それはまるで、自分が幼いころ住んでいた街の様子とそっくりだった。
ハヤブサ、オオトリ、ツバメ・・・。幼いころ住んでいた、鳥の名のつくアパート群。近くには小さいけれど、商店や市場があって、いつもにぎわっていた。
そこは私にとって、そのままひとつの島のようだった。
その思い出の場所も今はあとかたもない。
心のどこかで探していた、その場所。それが端島として残されていたようだった。  
幼い私と兄のおつかい帰りの古い写真が残っている。
カゴの中の食パンを得意そうに兄がかかえ、横の私は口を「への字」に曲げている。
大人の目がどこにでもあって、その「島」は幼い兄弟がおつかいに行くのも安全だった。
そんないくつもの「島」が集まって長崎という街ができていたように思う。
(長崎新聞社刊・僕の子ども絵日記~ながさきの四季より) また、このデザインは、島を旅立った若者たちを始め、軍艦島を訪れた若い旅人の今後に、エールをおくるという意味も込められています。





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江島 達也/対州屋
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