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長さや回数は関係ない。「気持ちを高めてくれる人」こそが、「先生」なのである

小学生6年生の頃だったと思う。
学校の行事としてバスに乗って、空港やダム等、県内の色々な施設を見学して回るということがあった。

バスには「ガイドさん」が乗っていて、道中いろんな話や歌、簡単なゲームやクイズなどを披露して、私たちを楽しませてくれた。
もちろん、顔も名前も、どのぐらいの年齢の人であったかさえもすっかり忘れてしまったが、その時ガイドさんが歌ってくれた「山賊の歌」の歌声は、今でもはっきりと耳の中に残っている。この歌はガイドさんが1フレーズ歌った後に、みんなが1フレーズを繰り返すという「リフレイン・ソング」になっていた。

また、創作漢字をフリップで出して、「これは何と読むでしょう?」というクイズでは、普段引っ込み思案だった私が、一問手を挙げて正解することができた。そうすると、「そうです。せいかーい!」とガイドさんが笑顔で拍手してくれた。
その時のガイドさんの笑顔をなんとなくだけど、何とも言えない嬉しさとともに今でも覚えている。

人生でたった一度、それもたかだか数時間だけの出会いであるが、あのガイドさんは、「臆病者であった私の気持ちをとっても高めてくれた先生」であった。

残念ながら、当時5年生から2年間担任であった初老のお爺さん担任の思い出と言えば、暇な時に教室の前に置いてあった机の前に座りながら大きなハサミで、自分の鼻毛を切っているというものだけである。

その時のガイドさんは、仕事であり、たった一回の「職務」であったかもしれない。
しかし、長さや回数は関係なく、「気持ちを高めてくれる人」こそが、「先生」なのである。

私が日本語学校で校長をしていた時代、たまに受け持った授業では、生徒が輝いた顔をしているか?ということを第一のポイントとして授業のプランを練っていた。
この時のガイドさんのことが意識の根底にあったのだろう。


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江島 達也/対州屋
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