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子ども日本風土記 (岩手) 「 首切り 」


首 切 り

私たちの町には、キャラメルの工場、 ハムづくりの工場などと、いろいろな工場がありますが、その中でも、日コンという工場は一ばん大きい工場です。
その工場では、六月に七十三名の首切りがありました。
そこの工場長は、ボーナスをやって、 
「あしたから、来なくてもいい」と、いったそうです。
それから、うちのおとうちゃんたちは、首切りはんたいのビラをまいたりしました。
夏休みには、私も上平沢というところにいって、ビラまきをてつだいました。とてもあつかったけれど、がまんしてやったら、帰りにいっしょに行ちた人に、アイスクリームをかってもらいました。
八月になって、そこの工場のか長が私の家のうしろに、ひっこしてきました。
家のおとうちゃんが、「こんどひっこしてきたの、日コンのか長だから、あんまりなんだり(いらないことを)いうなよ」と、いったから、
「そんなこと、わかってるよ」といって、外にでていきました。
それからまもなく、有線ほうそうで、
「日コンの じゅうぎょう員 ばしゅう」という、ほうそうがありました。
それをきいて、おばあちゃんが、
「なに、首切りしてでがら、まだ、じゅうぎょう員ぼしゅうだなんて、なにいってる」と、いっていました。
私も、どうしてそういうことをするのかわからないので、おとうちゃんに聞いたら、
「はじめは、わかい人でも年よりでも、できるだけ多くあつめて、年よりは首切りさせて、わかい人のことをあつめるんだよ」と、いったので、私は、(ほかの工場でも、こういうふうなことをしているのかなあ)と、思いました。
「十二月のボーナスでるまえに、また首切りするごった(だろう)」
というようなことを、おとうちゃんたちがはなしていました。
私は、(首切りなんか、しなきやいいのになあ)と、思いました。

                      (紫波郡 日詰小三年 千葉 民子)

昭和47年発刊・日本子ども風土記(岩手)より

小学三年生の児童が、父親の解雇(首切り)のことを書いている。
造船所で働いていた私の父は、幸い解雇されることはなかったが、自分の父親が職場から解雇されるということは、相当ショックなことだろう。
しかも、その理由を「父親の年齢が高いため」と知らされている。
8歳にして、社会の理不尽を目の当たりにしたことになる。
「仕事がなくなったら、お金もなくなるし、いったいどうやって暮らしていけばいいのだろう?」という不安の真っただ中で、この作文を書いたに違いない。
しかし、同時にこの児童は、とっても大切な経験と学びをしている。
世の中の不条理を思い知ると同時に、仕事というものの意味や、人としての在り方を、考えていくきっかけとなったであろう。

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江島 達也/対州屋
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