ヒトの暮らしって、なんだろう
2011年9月、webでふと読んだ東北の記事は切なすぎる内容でした・・・・
宮城県石巻市の三條慎哉さん(37)は小学生だった2人の娘を失った。
小3の長女、葵ちゃん(9)と小1の次女、舞夕ちゃん(7)。市立大川小に通っていた。児童の7割に当たる約70人が死亡。今も4人が見つからない。
あの日、会社が休みだった三條さんは、すぐに消防団の服に着替えて飛び出した。同居する妻の母が「孫が帰らない」と心配する声を遠くで聞いた。同僚とポンプ車で避難を呼び掛けて回った。
目前に迫る津波に気付いたが、すぐに車ごとのみ込まれる。入り江に浮かぶ材木の切れ端を必死でつかみ、水面に顔を出した。
同僚にも、三條さんと同じ小3と小1の2人の娘がいた。「きっと生きてる」。雪が降る中、励まし合って寒さに耐えた。約4時間後、岸に流れ着いた。
翌朝、小学校周辺の光景にがくぜんとする。町がない。学校は廃虚。橋のたもとには小学生くらいの背丈の子供の遺体があった。絶望の中、翌日たどり着いた内陸の集落で、同僚の2人の子が無事だと知る。同僚は声を抑えきれずに号泣した。
俺の子は……。思いを封印し、三條さんは、「本当に良かった」と喜び、同僚を抱きしめて泣いた。
三條さんの娘2人の遺体は、その後相次いで発見された。「うちだけ、すまない」。泣きながら謝る同僚に、言った。「そんなこと考えなくていい。(娘の)同級生なんだ。成長を見るのが楽しみだ。俺の心の支えだ」
お父さん子だった葵ちゃん。震災の前の晩、「一緒の布団で寝ようよ」と甘えてきた。それなのに、テレビを見ながら「今日はいいよ」と言ってしまった。小さな願いを、なぜあの日に限って聞いてやれなかったのか。後悔は消えない。
<東日本大震災>娘2人失った父、悲しみから一歩…石巻より
うちは貧乏ですが、これだけはいいと思っているのは、毎晩子どもと同じ部屋でずっと寝ている、ということです。
最近では子どもも大きくなり、思春期を迎える数年後にはそうもいかないと思っていますが、赤ん坊の頃からずっと寝顔を横で見ていることで、心豊かになれたと思う部分も大きいですし、精神的に不安になった真夜中などには、寝ている子どもの小さな頭を眺めていることで、不安から逃れられたという体験もありました。
貧乏もそう悪いことばかりではありません・・・
少し話はそれるかもしれませんが、ふと頭に浮かんだこと・・・
これは三菱端島坑のあった軍艦島のアパート。
現在では結構有名な観光地?ともなったようですが・・・
見えているのは9階建てのアパート「日給社宅」の屋上部分です。
このアパートの2階(と言っても1階は半地下だったので、実際はグランドレベルに近かった)の平面図です。
この社宅の2階なんていうのは、一日中ほとんど陽もささないので、薄暗くてじめじめしていたのですが、ご覧ように22戸の「家庭」が並んでいました。6畳と4畳半(或いは2畳)と狭いながらも、家族は仲良く寄り添って眠っていたわけなんですね・・・。
ガイド時代、軍艦島ツアーに来ていたイングランドの若い設計士に、「狭いからこそ、家族の繋がりは強かったんだ!」と力説したこともありましたっけ・・・
たとえ薄暗くてじめじめしていたとしても、この1戸1戸の中には明るくて穏やかな「家庭」があったのだ、ということを訪れる多くの方にどうかわかって欲しいものです・・・。
日々の「小さな願い」を大切にすることが、いかに大事なことかを、記事は教えてくれるように思います・・・。
(元記事作成:2011年9月)
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