「職業をランキング付けする」こと自体、精神的に貧しい所業。仕事に対する価値観を大事にするならば、ランキングは意味がない事に気付くはず
2022年6月、「就活の教科書」という何とも高飛車?或いは馬鹿げたタイトルを掲げたサイトが、こともあろうに「底辺の仕事ランキング」なるものをUPして大炎上し、さっさと削除するという珍事があった。
サイトそのものも閉鎖したのかと思いきや、まだ実に堂々と?存在している(笑)
ベンチャー系の会社サイトあるあるだが、「ほら、私たちはこんなに優秀なんだ!」とばかりに大そうなことを列挙していて、下までスクロールするのに、指が疲れてしまった。
「一事が万事」と言う言葉があるが、削除すればそれは「取り消した」ことになるわけではない。もっとも深刻な点は「企業としてのパラダイムが間違っている」こと。
他にもやたらとランキングを勝手に作って並べているが、それらも全てさっさと取り下げた方が潔い。
仕事の種類(職業)が、その働く人の上下を決めるなんて、はっきり言って笑ってしまうほど未熟な価値観だ。
何故か?なんて説明するのも嫌になってしまうことだが、せっかくなので、ひとつ、判りやすい例として、私の家に食材を配達してくださっている配達員さんのことを述べてみる。
その配達員さんは、配達に来たからと言ってベルを押して、家の中に届けるわけではない。玄関の傍に置いてあるボックスの中へ食材の入った箱を届けるのだ。
その際、その配達員さんは、家の中に人がいるかどうかわからなくても、大きな声で挨拶をして敷地内に入って来られる。
そして、入れ替えが終わるとまた、大きな声でお礼の言葉を言って帰って行かれる。
私が家の中にいる時、その声が聞こえるが、答えようがない。しかし、配達員さんは、そんなことはお構いなしである。自分の仕事に対するパラダイムがそうだからである。
だから、同じ系列の配達員さんで、当然何も言わずに仕事をやる人の方が多い。そんなことをしても給料(アルバイト料)は変わらないし、態度が悪いわけでも何でもない。
しかし、両者と間には、ランキングなどでは表せない程、大きな差がある。
仕事に対するパラダイムの持ち方の差だ。
先に述べた方は、そのパラダイムによっていつも明るく元気のよい声掛けをすることによって、私という顧客の気分をとてもよいものにしてくれる。「有難い」と思うし、この会社に頼んでよかったという気分になる。つまり私の生活が明るく高められるという「ソリューション」を実現しているのだ。
こういうパラダイムで仕事に向わない限り、どんなにランキングで上位?にある職業に就いたとしても、相手から感謝されることも無いし、自尊心が高められることも無いだろう。
たとえ、はったりで「就活の教科書」と名付けたとしても、その責任として、もっと根本的な人の心のベースということを考えなければダメだろう。さもなければ、あっという間に愛想をつかされてしまうだろう。メッキなんて、すぐにはがれてしまうのだ。
「炎上したこと」をまず、自分自身にとって「有難いこと」と捉え、これからが本当に大切な学習とするべきなのだ。