アルミロ・ケルビン・デ・ソウザ(葡)
Almiro Cherubin de Souza 1880 ~ 1921
長崎市生まれで、長崎市に没したポルトガル人です。
お墓は、新坂本国際墓地にあります。
この人を知っている人は、残念ながら長崎市民であっても、ほとんどいないだろうと思います。
しかし、個人的には、大変思い入れのある人物なのです。
今から、約25程前、まだ群馬県に住んでいた頃、長崎に帰ってきては、あちこちを歩いて写真を撮っていました。
その時、新坂本国際墓地に来た時に、彼のお墓を一目見て、なぜか心惹かれるものがありました。で、このお墓を油彩に描き、個人的に随分と気に入っていました。
もちろん、その時は、誰のお墓かも判っていませんでした・・・・
アルミロ・ケルビン・デ・ソウザは父親が1872年にポルトガルから長崎へやって来て、アメリカ領事館で通訳兼事務官などの仕事をしていました。
アルミロは1880年に長崎市南山手26番地で生まれ、ここで少年時代を過ごしています。
海星学校を卒業した後、兄とともに「ザ・ソーサ商会」を設立しましたが、うまくゆかず、他の商社などに勤めた後、1902年から香港上海銀行(長崎支店の建物は現存)の行員となりました。
この頃、日本人女性と結婚し、南山手8番地に新居を構え、8人の子どもに恵まれました。その後、順調に昇進し、主任にまでなりましたが、1921年、41歳の時に健康を害し、肺炎のため自宅で亡くなりました。
(前列右端がアルミロ)
アルミロのご家族の写真です。
彼と妻、そして8人の家族が暮らした南山手8番地には、現在(2010年当時)「カフェ・ド・アルミロ」というカフェがあります。
まだザ・ソーザ氏のことを全く知らない時代に、コーヒーを飲んだことがあります。実に落ち着くカフェだったことを覚えています。
いや、正確には、ありました・・・。大変残念なことに2010年12月いっぱいを持って、この「カフェ・ド・アルミロ」は閉店してしまいました。
緑のコーンには、「閉店のお知らせ」が貼ってあります。
「心惹かれる」と、誰が眠っているかもわからず油彩に描いた墓標。
名前の由来も気に止めず「感じが良くて、落ち着くカフェ」とコーヒーを飲んだカフェ・・・
そのルーツは、家族を愛し、また愛されたポルトガル人アルミロ・ケルビン・デ・ソウザにあったと知ったのは、つい最近のことでした。
きっと、このロゴのように、家の中には暖かなロウソクの灯がともっているかのような、幸せな家族の暮らしがあったのでしょう・・・
(記事作成:2011年1月以前の記事では「ザ・ソーザ」と英語読みの表記であったのを、今回ポルトガル語読みのデ・ソウザに変更しました)
※2019年アルミロさんが伯祖父にあたる方から、メッセージを頂きましたので、勝手ながら付記させて頂きます。
『 私の先祖を紹介してくださりありがとうございます。アルミロ ケルビン デ ソウザは私の祖母の兄であり、両親を早くに亡くした祖母は彼に育てられたと幼い頃から聞いてました。感激です。長崎には時より里帰りし、その度に墓参に行っております。 』
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