池島の思い出
私が初めて池島を訪れたのは2011年でした。
東シナ海角力(すもう)灘に浮かぶ池島は、その名の通り島に大きな池のある島でしたが、西彼炭田上あることから、炭鉱の島として栄えました。
九州最後の炭鉱として2001年に閉山。
私は当時長崎市で中学教師をしていましたが、その頃、池島から転校してきたという女の子がいました。よく日焼けして健康そうな笑顔を思い出します。
縦坑やぐらの灯とその前に立つ少女。
炭鉱という場所は、何も無かった山の中や島の上にある日から「不夜城」のように24時間光り続け、そして或る日消えてゆきます。
それはまるで「幻」のようですが、そんな場所が私の住む長崎県や北部九州、東北、北海道各地に存在しました。
私は約20年前から炭鉱の跡地を訪れるようになりました。き
っかけは地方紙の取材でしたが、各地に残る炭鉱町跡に、今は商業施設に押しつぶされてしまったかつての自分の育った街並みを感じたことが大きなモチベーションとなりました。
そして、そのことを記事にすると、日本各地から「若い頃、そこで暮らしていた。ずっと探していた。もう一度帰りたい」というメッセージを沢山いただくようになりました。
もし再びその町に帰ることができたら、その時の自分は若い頃、思春期の頃の自分に心は帰るのだろうというイメージでこのイラストをつくりました。 また、このデザインは、島を旅立った若者たちを始め、軍艦島を訪れた若い旅人の今後に、エールをおくるという意味も込められています。
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