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子ども日本風土記 (岩手) 「 馬の死 」

馬 の 死

今年 二歳の馬
おせりに出したが
あんまり安いので 連れ帰ってきた
すると
二十八日から病み出した
獣医をたのんできたら
ふんづまりだという
苦しいのだろう
馬はぶるぶる ふるえて
ころんでしまう
それをむりに起こし
鼻から 石けん水をつがれ
おしりから 腕を肩の方まで入れる
一晩中 寝ないで看病したが
次の日も その通り
とてもだめだ 今晩は死ぬだろう
その晩も 父とともに眠らずにいた
だが 三十日の朝
まだ死なないでいるのでおどろいた

八時のころだ
ふんを少しずつ出しはじめた
これは生きると みんな一安心した
そこで酒をのませたわけだ
家の人は生きるといったから喜んで
いた
父は 一晩もねむらないし
二日、仕事もやらず
馬を助けようとしたのだ
とてもだめだといった時
顔色を変えて
ただ だまっていた
こんどは 生きるといったから
安心して「めけものした」といって
いた
二十九日 一時間学校へおくれてきたのも
馬のためだ
ところが
三十一日の晩である
ふんをたれるが
首をたれてあるく

これは おかしい
獣医は生きるといって家に帰ったし
どうにもならない
まさか死ぬとは思わなかった
みんな ろにあたっていた
十一時すぎ
ひえ打ちをして父が見た
「死んでら」
と 涙をうかべていた
馬は死んだのだ
苦しい苦しいといって 死んだのだ
一日の朝
獣医にたのんで 解ぼうしたら
筋骨が折れていたそうだ
二十七日の晩 木戸の木が折れ
ひどい音がした
その時ふまれたのだ
そして三日も物を食わずに死んでいった
みんなため息をついて
ただ くやむばかりだった。


(岩手郡城内中三年 渡部 清一)

昭和47年発刊・日本子ども風土記(岩手)より

「死んでら」と 涙をうかべていた

この一文は、私にとって。重くのしかかるものだ。
馬の死というものは、とても表現できない。
飼い主であった者にしか理解ができない。
飼い主にとって、それは「世界が変わって見える」ほどの出来事なのだ。



画像はイメージであり、記事とは関係ありません。岩手郡城内中学校で検索しても、何もわかりませんでした。

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江島 達也/対州屋
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