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ヒコーキの コナば まいた

今から約15年ほど前に、長崎新聞社での連載のために描いたものを少し手直ししたもの。
「島原の乱」は、皆名称は知っていると思うが、今の島原に主なカトリック教会は残っていない。乱により信者はその家畜に至るまで「皆殺し」にされてしまったから。
今の住人の方々の祖先は、他の地域からの入植者となるのである。
でも私にとっての「島原のイメージ」は、カトリックと「島原の子守唄」であり、そのイメージから、このイラストを描いた。

『 ヒコーキの、コナば まいた! 』(島原市)
「今日も寒かねぇ!」朝からバタバタ支度して、保育園に遅れないように「ヨイショ、ヨイショ」近ごろ、すっかり重くなったねぇ・・・。
もうそろそろ自分で歩いてくれんかナ。 
お城のわきを歩いていると、ぬけるような青空の中をすうっと、ひとすじのヒコーキ雲。空が青い分、白いすじがくっきりとよく見える。
その時に言った息子のひと言。
「ヒコーキの、コナば まいた!」「あっ、本当だ。ヒコーキの、コナば いっぱいまいとるねぇ・・・」
その時、なんだかうれしくて、心の中がほっこりした。  
それから数年。「ヒコーキ雲は何で、できると?」と問う息子に、こう答えた。
「あんね、ヒコーキのジェット・エンジンはあつか空気ば出すったい。そうしたら、空の上の方は空気が冷たいけん、あつか空気が冷やされて水蒸気になるっさ。そいが、ヒコーキ雲たい」。
・・・すっかり受け答え方も変わったねぇ。

◇  

子どもをいつも抱っこしていた時、重くて腕が痛くて、早く大きくなって自分で歩いてほしいと思っていた。
でも、抱っこをしなくてもいいようになると、なんだか胸のあたりがスカスカして・・・。
あの、両手を広げて「抱っこ!」と要求するポーズを見られなくなったことがとても寂しい。
思い返してみれば、子どもを初めて抱っこひもで自分とゆわえて外出した時は、何だかやけにうれしかった。スーパーに入るとキョロキョロ目を動かして、小さな手を伸ばして近くにある商品をさわろうとする姿がかわいかった。
あのころ、自分が子どもを抱っこしてやっていたつもりだったけど、実は自分が子どもに抱っこされていたのだということに、後になって気付いた。
それでも、君を抱っこして見た時のあのヒコーキは確かにコナをまいていたし、あの時の君の重さもまだ、この腕の中に残っているよ・・・。

(長崎新聞社刊・僕の子ども絵日記 ながさきの四季より)







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江島 達也/対州屋
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