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炭鉱町に住んだ人々~隣人との付き合い(2)
ある土地で人が生活をする場合、非常に苦慮する要因のひとつが、その土地の出身者か否か・・という「排他性」でしょう。
「よそ者」という呼称はポピュラーな言葉ですし、我が県においても、「居つき」「旅のもの」・・・など、他地区からの転入者を差別する言葉は、身近な場所にすら転がっているのが現実なのです。
また、そのほんの狭い地区の中でも、海に近い所で生まれたか、山に近いか・・などで細かく差別し合い、争い合っているという場所もめずらしくないでしょう。
日本の僻地を巡って歩いた民俗学者の宮本常一氏も、著書の中で、閉鎖的な部落ほど、「あの家は狐つきだ」とか「犬神だ」とかいう、まったく根拠のない差別が根強く残っている・・・というようなことを書いていました。
炭鉱という場所は、文字通り石炭を掘るためだけに作られた場所です。
その周辺に労働力としての炭鉱町ができるわけです。
しかし、石炭という性質上、掘り進むに連れ、付近の石炭は枯渇してゆくわけで、採算のとれる限度を超えると即、閉山となり、同時に炭鉱町も消滅する運命にあります。
従って炭鉱住宅というのは、簡易な造りで、ほぼ全戸同じような構造になっています。
また、閉山とともに坑員達も次の炭鉱へと移ってゆくのが常で、炭鉱という場所は、常に人が流動していました。
このような場所ですから、地元出身だの、違うだのという論議が発生するはずがなかったわけです。
むしろ、同じ時期に同じく平等に危険な炭鉱で働く者(家族)同士の絆で深く結ばれ、そこから「ヤマ(炭鉱)は、ひと家族」という言葉も生まれたきたわけです。
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